歯って大切~!――前編
2006年夏。左下奥から2番目の歯の抜け跡にブリッジをかぶせ終えた歯医者が、オレの口の中に突っ込んだ指をグイと持ち上げて親知らずを見ながら言った。
「どうせすぐ虫歯になっちゃいますから、両方とも抜いてしまいましょう」
「えーと、もにょもにょもにょ」
オレはお茶を濁した。右上の親知らずも左上の親知らずも、ほんのちょっと顔を出したり隠れたりという状態で、抜くとしてもまだまだ先のことだと思っていた。それに、左下奥から2番目の歯の治療をめぐって、この歯医者にはすっかり嫌気がさしていた。だから、勇気を振り絞ってお茶を濁したのだった。
2009年2月9日。いずれは親知らずを抜くにしてもそんなに急ぐこともないよなと思っていたが、そうも言っていられなくなった。
「この近所だったらどこの歯医者さんがいい?」と、行きつけの散髪屋さんのおばちゃんに聞いたときに教えてもらった歯医者に電話してみた。
「右上の親知らずは、歯茎からちょこっと顔を出したり隠れたりという状況なんですけど、左上の親知らずが、舌ではっきり確認できるくらい、あさっての方向に向かって生え始めてるんです。この左のほうは抜かなきゃならないとして、右のほうも一緒に抜いちゃったほうがいいんですかねえ、やっぱり」
なんというか、「どうせ親知らずは両方抜くんでしょう?」という先入観丸出しのオレに対して、歯医者が言った。
「診てみなければわかりません」
たしかに。
で、この歯科医に診てもらう予約は、キャンセルした。顔面神経麻痺を患って緊急入院することになり、歯の治療どころではなくなったのだった。
顔面神経麻痺治療のための入院は2週間ちょっとで、2月末には退院した。
退院したからといって、すぐに歯医者に予約、というわけにはいかない。顔面神経麻痺にストレスは禁物だから。
顔面神経麻痺のリハビリのために通院が必要な3~8月の間は、歯磨きは親知らずまわりを重点的に行うけれども、それ以外のときは親知らずのことは考えないようにした。自分で自分にプレッシャーを与えないようにアホみたいな顔をして過ごした。
左上の親知らずはあさっての方向にむかってスクスクと成長していったが、1日30分(10分×3回)もかけて丁寧に歯を磨いたおかげか、痛みやニオイが発生することはなかった。虫歯にはなってないということだ。よかった。いくらリハビリ期間中とはいえ、虫歯になったらほっとけないから。
9月、10月、11月、12月と左上の親知らずは虫歯知らずで成長を続け、生えた方向が横向きではあったけれども、立派な親知らずになった。年が明けてもオレは丁寧な歯磨きを続け、1月も2月も、親知らず及びその隣接する歯に異常は起きなかった。
2010年3月。歯医者の予約をキャンセルしてから1年ちょっと。左上の親知らずとその隣の歯との境目をブラッシングした瞬間、強くはないがイヤな痛みを感じた。
その部分を中指の先で強くこすって、においを嗅いでみたところ……クサかった。がっくり。虫歯か、歯茎の炎症か。いずれにしても、歯クソのニオイではない。
手持ちの歯間ブラシのなかで一番細い「デンタルプロ 2(SS)」を、親知らずとその隣の歯とのすき間に、まずは先っぽだけゆっくり差し入れてみた。
強い痛みではないが、先ほどのイヤな感じの痛みが一瞬だけあった。
次にもう少し奥まで差し込んだが、もう痛みはなかった。
ゆっくりシャカ~、シャカ~と歯間ブラシを出し入れしたのちに抜き取ると、ブラシ部分が真っ赤。しかもクサい。
たぶん歯周病系。だとすると歯グキのブラッシングが欠かせない。
ということで、この日から、左上親知らずまわりの丁寧な清掃が歯磨きメニューに加わった。
トラブルをかかえていないほかの歯と歯の間は、歯間ブラシはなんの問題もなく貫通する。加齢とともに歯茎がやせて、ややすきっ歯になっているのだ。
一方、親知らずのすき間に入るのは、歯間ブラシの先端5ミリだけだった。もうちょっと押し込めば、歯列の裏側(内側)へと貫通するはずだ。
6ミリ、7ミリ、8ミリと、日に日に歯間ブラシはだんだん奥まで入り込むようになっていった。
一番奥の歯は厚みがあるとはいえ、もうそろそろ貫通してもいいころだ。なのに貫通しない。たぶん、左上の親知らずが、その隣の歯の外側に回り込むように生えているせいだ。
4月後半のある日。歯間ブラシ先端のワイヤー部分が、完全に没した。それでも貫通しない。先端のワイヤーは12ミリ弱もあるのに。
その状態で歯間ブラシを出し入れしながら、オレは大きな危険を冒していることに気づいた。
歯間ブラシを奥まで押し込んだときに、もしワイヤーの根元がポキっと折れて先端部分がすき間に置き去りになったら、素人にはなすすべがないじゃないか。
早く気づいてよかった!
親知らずまわり以外の歯間掃除に使っている「デンタルプロ 3(S)」は、20数カ所のすき間をシャカシャカやって4日くらいは楽勝で持つが、親知らず用歯間ブラシに関しては、早め早めに交換しないといかんな。
5月なかば。くっそ~! 左下奥のブリッジがゆるんで、カフっカフって浮いたり戻ったりする。かぶせてからまだ3年しかたってないのに。なのに、もう修繕が必要になってしまった。
※ブリッジというのは、歯を抜いた跡に人工の歯を入れる入れ歯とは違い、抜歯した跡はそのままで、その両側の歯に銀の橋を架け渡す工法。下の歯の場合、上から見ると銀歯が3本並んでいるように見えるが、横から見ると、真ん中の歯の下には何もない。
ブリッジをかぶせるために、虫歯でもなんでもない両側の歯を削ったんだから、もっと長持ちしてほしかった。
ゆるんでカフカフ動くブリッジをほうっておいたら、そのうち虫歯菌が内部に入り込む。虫歯菌が定着しないように掃除をしたくても、ブリッジがかぶさっているから内部まで磨けない。
ダメだ、もう腹をくくって歯医者に行くしかない。
後編につづく
初出:2010年8月4日