我慢の限界
松原荘に引っ越した次の日から、外へ出かけるときも帰ってきたときもトイレに行くときも、バアサンと会いませんようにと念じるようになった。
でも、かなりの高確率でバアサンと顔を合わせる。
バアサンの部屋のドアはいつも10センチばかり開いてんだよね。
で、オレが外から帰ってきたとき、どんな状況になるかをケース別に見ていきたい。
ケース1:アパートの木戸も玄関も閉まっている場合。
アパートに帰って、まず木戸をズッスーと開け、さらに玄関をガラガラと開けると、10センチ開いたドアの隙間にはすでにバアサンの顔がある。
ケース2:木戸は閉まっているが玄関が開いている場合。
アパートに帰って木戸をズッスーと開け、そのまま3、4歩あるいて玄関に入ると、ほぼ同時にドアの隙間にバアサンが顔を現わす。
ケース3:木戸は開いているが玄関が閉まっている場合。
アパートに帰り、そのまま木戸をくぐって玄関をガラガラと開けると、ちょっと遅れてドアの隙間にバアサンの顔が現われる。
ケース4:木戸も玄関も開いている場合。
アパートに帰ったときに木戸も玄関も開いていると、オレがガッツポーズをとる。
ケース4の状況でオレは、脱いだ靴を下駄箱に入れず揃えもせずに泥棒ネコのような敏捷な身のこなしでアパートに上がり込み階段を駆け上がる。
でも! この恵まれた状況下での泥棒ネコ行動でさえ、数回に1回しか成功しなかった。バアサンのレスポンスが、驚くほど早いのだ。けっこう素早く移動したつもりでも、後ろ姿が捕捉されてしまう。なんらかの事情でバアサンの行動に遅延が生じたとしても、オレの残した物音と靴が、バアサンの次の行動を促す。すなわち「吉田さ~ん、帰ってきたの?」である。
別に、「ただいま」「おかえり」とか、「いい天気だね」「ほんといい天気ですね」とか、「こう暑いとイヤんなっちゃうわよね」「ま、オレのせいではないにしても」「どうだか」程度の会話なら、なんの問題もないのに。話が長いんだよね。最低でも10分。78歳のバアサンと20歳そこそこの男子との間には、共通の話題なんてなく、バアサンが一方的に言いたいことを言い、オレが「あ、はい」と相槌をうつだけだし、話の内容も誰かの悪口ばっかりだし、もう、イヤ!
バアサンに対するアパートの住人たちの対応は、次のいずれか。
A:話しかけられたら機嫌よく応じつつも歩く足は止めない。たまに2~3分程度話し相手になる。
B:アパート内で顔を合わせてもお互いに無視。たまにバアサンが文句を言うが、知らんぷり。
C:話しかけられたら、内心イヤでしょうがないが、表面上は平静を装って話し相手になる。
Cパターンはオレひとり。Aパターンの住人も1名で、本多さんのみ。花屋さんに勤める本多さんは、オレに、「バアサンの言うことにいちいち付き合ってたら大変だから、テキトーに相手したほうがいいよ」と言ってくれた。でも、すぐに引っ越してしまった。残る住人は、バアサンの話し相手にならないBパターンのみ。本多さんの部屋に引っ越してきたのは、やはりBパターンの学生、田路であった。
しばらくしてオレは、バアサンに見つからないようにこそこそするのをやめた。
松原荘はどの部屋も、畳の四畳半とは別にドアを開けたところに半畳ほどの広さの板の間の台所がある。あるときバアサンの部屋のドアが全開になっていて、見ると、台所の半畳の板の間に椅子が置いてあった。1日の大半をそこで暮らしているみたいだ。レスポンスが早いのもうなずける。バアサンには四畳半なんて必要ない。台所の半と、新聞を積む窓だけで十分じゃんか。
それと、もし、バアサンに勘づかれずにアパートに出入りできたとしても、バアサンは住人たちの下駄箱を開けて靴をチェックしていたし、夕方以降は、アパートの脇を通っている路地に出て、窓の明かりを確認しているから、オレがいるかどうかはすぐわかる。暗くなっても明かりをつけないという選択肢もあるが、それは、したくない。
そんなわけでバアサンは、確信をもって、
「吉田さ~ん」
と廊下の下からオレを呼ぶのだ。
もうあきらめるしかない。
岩手県人はがまん強い、と無理やり信じてがまんすることに決めた。
同じ東北人でも、岩手県人に比べると青森県人はハイカラと言われているし、社交性もそこそこありそうな気もするのだが、佐藤さんのところでいつしか暮らし始めていた佐藤(弟・16歳)は、バアサンの前では無口だった(兄さんと2人で部屋にいるときの弟はけっこうおしゃべりで、思いっきりナマったしゃべり声とかキャッキャとはしゃぐ声が、薄い壁を通してオレの部屋までよく聞こえてきた)。
佐藤(弟・16歳)は、パターンCに分類される。バアサンを無視できず、しかもバアサンに対しては無口。
オレは、共同便所でゆるめの大をしているときにバアサンと佐藤(弟・16歳)の会話を2回ばかり聞いている。バアサンは佐藤(弟)に、「玄関をあけっぱなしにするな」「きちんと挨拶をしろ」「トイレを汚すな」「玄関の外に置いてあった雑巾を持ってっただろう」と文句ばかり言い、それに対して佐藤(弟)は、「あん」とか「んーう」とかいう返事を返す。東北人のオレには、ニュアンスでその返事の意味がわかったが、バアサンにわかるはずもなく、かえってイラついて、同じ文句を何度も繰り返していた。
聞くだけでなく、バアサンが佐藤(弟)に文句を言っているシーンを目撃したことも何度かある。佐藤(弟)は、ニタニタ笑いを浮かべていた。困惑のニタニタなのだろうとオレは思ったが、バアサンの目には挑発のニタニタにしか映らないだろう。
松原荘に引っ越して1年半が経過した1979年の6月。暑い日だった。昼近くになって、そろそろ学校に出かけようと準備をしていた。
「吉田さーん。吉田さーん」
いつもの吉田コールが聞こえてきた。でも、なんかちょっと感じが違う。
「吉田さーん、これ抜いてぇぇぇ……。吉田さーんってばぁぁぁ……」
抜いて? わけがわからなかったけど、とりあえずいつものとおり、部屋のドアを開けて階段の下を見た。
「吉田さん、これ抜いてぇぇ……」
言いながらバアサンは胸のあたりをオレに見せようとした。
胸も、その下のほうも黒っぽい。
血じゃね?
つづく