2013年7月31日水曜日

ダジャレにひと言24 ♪冬が来る前に(by紙ふうせん)♪

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
♪冬が~、クルマエビ~、もう一度~、あの人と~、め~ぐり逢~いた~い~~♪
歌はいいから早くお尻あらってきなさい
ウンチ漏らしてんのに、いくら感情込めて歌ったって、ケツはきれいになんねーぞ、と。
初出:2012年4月6日

2013年7月30日火曜日

松原荘殺人未遂事件 その7

語り部の誕生

「帰りはどうする? ちょっと待ってくれるんなら、パトカーで送ってくけど」
 というので帰りもパトカーに乗せてもらった。
 アパートに戻ると木戸も玄関も開いていた。
 アパートにはおまわりさんが2人残っていて、オレが中に入っていくと、血だらけの廊下を指差しながら話しかけてきた。
「お疲れさん、終わった?」
「ああ、はい」
「悪いんだけどさ、廊下、きれいに掃除しといてくれる? これ、おまわりさんがやるアレじゃないんで。申し訳ないんだけど、じゃ、お願いね」
 おまわりさんは自分のことを「おまわりさん」と言った。さん付けだ。かといって、「これ、おまわりがやるアレじゃないんで」なんて言われたら、ちょっと恐いので、やっぱいいのか。
 血だらけの廊下には、ところどころにどす黒い塊が小さく盛り上がっていた。その塊が何か、はっきりとはわからなかった。カルビかなんかだろうか。ミノかもしれない。とりあえずそれを新聞紙で掻き取ってから、濡れ雑巾で拭いた。廊下一面の血だし、乾きかけているので、当然ひと拭きではすまなかった。ふた拭きでも、み拭きでもすまなかった。結局、血の跡がまだらに残ったが、別に気になんねーかと思って、それで終わりにした。
 しばらくして不動産屋のおばちゃんがやってきて、「大変だったね、スイカでも食べて」と、赤い切り口丸出しのスイカを山ほどくれた。そのスイカを一切れだけ食べてからちょっと時間をつぶし、5時になったところで、ガード下の呑み屋「さんのじ」に出かけた。

「なんか、今日の昼ごろに松原のアパートでおばあさんが刺されたらしいね」
 マスターの鈴木さんが言うので、オレは自分の鼻を指差して、オレオレというしぐさをした。
「何?」
「オレのアパート」
「えっ、じゃ、刺されたのって、いつも言ってるあのおばあさん?」
「そう」
 それから5分ほどかけ、バアサンが「吉田さーん」とオレを呼ぶところから、不動産屋のおばちゃんがスイカを持ってきたところまでを話した。
 すぐに、奄美大島出身のさみしがり大迫クンが来たので、彼にも同じ話をした。
 それから見た目が豪快だけどねちねちした性格のパン屋のHさん、劇画タッチの濃い顔をしていて街でよくからまれる劇団のカンナリさん、オレの太ももを触りまくるオカマのじぃじぃFさんと、いつものメンバーが集まってきて、その都度このネタを話した。この日だけで10回は話した。5分で終わる話が、最後の高座では15分の話にふくらんでいた。最後の高座が一番ウケた。特に「吉田さん、これ抜いて」のくだりと、「吉田さん、私の部屋のカギ閉めといて!」のくだりでは大爆笑だった。♪hmhmhm~不謹慎な人の群れ~♪
 いつもは夜中の2時くらいまで呑むんだけど、オレの心は普段とはそれなりに違う状態ではあったので10時には切り上げた。それでも十分酔っていた。いつもオレにツマミしかおごってくれない常連のおじさんたち(主に30代以降の人)が調子に乗ってオレに酒までもおごってくれたから。

 アパートに戻って木戸を開けた瞬間、(ワッ!) ま、声には出さなかったけどびっくりした。木戸の両側に、塀にへばりつくようにして刑事が2人いたのだ。
「あっ、どうもご苦労さまです」
 こういうときに言うべきセリフは刑事ドラマで学習済みのはずだけど、なんかちょっと違うか……。でも、刑事は無言で会釈を返してくれた。
 部屋のドアを開けるとスイカのニオイがした。「さんのじ」でさんざんツマミを食わされたので、食う気がしなかった。どうしようか……。気の利いたことを思いついたつもりで、張り込みをしている刑事のところにスイカを持っていった。
「けっこうです。気をつかわないでください」
 張り込み中の刑事は、アルコール類はもちろんスイカも遠慮する。おしっこが近くなるのが困るのだろう。手とか口のまわりだってベタベタするし。
 次の朝早く目が覚めてゴミを出しに外に出たら、刑事はもういなかった。佐藤(弟)は捕まったのだろうか。
 玄関に放り込まれてある新聞を取って部屋に駆け戻り、社会面を広げた。左下の小さなスペースに、バアサンが刺されたことが載っていた。容疑者が同じアパートの人間だとか、第一発見者のこと(オレのこと)とかは載っていなかった。ちぇっ。ちょっと拍子抜け。

つづく

2013年7月29日月曜日

馬鹿をめぐる名言23

ハイネ
賢者が新しい考えを編みだし、愚者が広める。
 見事な連携プレー。
利口な人間がしばしばきわめて愚かなことがあるように、愚かな人間がきわめて聡明なことがある。
 犬もそう。
あんなに小さな頭にあんなにどっさり無知がはいるとは驚異である。
 知と違って、無知はかさばらない。
出典:ドイツの詩人・評論家、ハインリヒ・ハイネ(1797~1856年)がメモや原稿用紙に書き残したさまざまな短文の集まり、「箴言と断章」(『ハイネ散文作品集 第5巻 シェイクスピア論と小品集』木庭宏責任編集/松籟社)より。
初出:2008年4月11日

2013年7月26日金曜日

ひとり大喜利「ひとり喜利」/ホトトギスで一句お願いします

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。負けずに、ホトトギスで一句お願いします。
█ お題 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。負けずに、ホトトギスで一句お願いします。
回答
ホトトギス 街で会っても 気づかない
超有名だけど顔と名前が一致しないから、鳴いてくれないとね。
█ お題 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。負けずに、ホトトギスで一句お願いします。
回答
殺すなら 鳴かせてほしい ホトトギス
そりゃそうだ。
█ お題 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。負けずに、ホトトギスで一句お願いします。
回答
鳴かぬなら 凍らしてしまえ Panasonic
パナソニック、もしくはパナソニク!
█ お題 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。負けずに、ホトトギスで一句お願いします。
回答
鳴かぬなら 飼ってもいいよ ホトトギス
鳴くよ。
█ お題 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。負けずに、ホトトギスで一句お願いします。
回答
父さんに 目元がそっくり ホトトギス
ばーか。じゃ、また次回。
初出:2010年10月28日

2013年7月24日水曜日

ダジャレにひと言23 水着

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
プールの男子更衣室に忘れ物があったぞ、この水煮、誰のだ?
先生、その色は、水煮じゃなく味噌煮です。
サバの缶詰ということで、いいじゃないか。
初出:2012年3月31日

2013年7月23日火曜日

松原荘殺人未遂事件 その6

オレの非日常は警察官のルーティーン

「吉田さーん! 私の部屋のカギ、閉めといてね~!」というバアサンのせりふを聞いた救急隊員も警察関係者も、ちょっと笑っていた。なんつーか、苦笑じゃなかった。普通の、ちょっとした笑い。ぜんぜんニガそうじゃなかった。いろんな事件を見てきた彼らにはバアサンみたいな言動も、ありがちなパターンの一亜種だったりするのかも。
 刃傷沙汰初体験のオレは、笑う気になれなかった。ちょっとすました顔で、バアサンの部屋のドアを閉めた。カギまでは閉められない。オレ、バアサンの部屋のカギ、持ってねーし。
 とりあえず一段落ついたところで、でもげんなりしているところに、刑事らしき男が話を聞きにやってきた。
「第一発見者は、あんた?」
「あ、はい」
 とうなずくと、現場検証が始まるらしく、
「ここはアレだから、ちょっとあっちで話を聞かせてくれない?」
 とアパートの外に連れ出された。後ろをちらっと振り返って見ると、別の刑事が、オレが閉めたばかりのバアサンの部屋のドアを開けていた。そりゃそうだ。
 このときのオレの服装は、下は茶色のスラックスで、上は白いシャツ。Tシャツじゃなく、肌着の白いシャツ。胸から下が赤く濡れている。腕から手の指にかけてベットリ付いた血は乾き始めていて、ところにより黒っぽくなっている。
 はじめの刑事の質問に答え終えると、2人目の刑事がやってきた。同じ質問をするのでオレも同じ答えを返す。違う答えを返したりなんかしたら、「オレの言っていることの信憑性に“?”が付く」→「刑事は、コイツ怪しいなと思う」→「とりあえずご同行願えませんか」→「警察署での厳しい取り調べ」→「オレ、ビビる」→「刑事、ますます怪しんで机を叩く」→「オレ、ますますビビる」→「一転してやさしい言葉で『悪いようにはしないから白状しろ』と言う」→「オレ、『悪いようにならないんなら』と白状っぽいせりふを口にする」→「オレ、逮捕される」。
 バアサンが「佐藤にやられた」って言ってるんだからそんなことになるはずないのに、ちゃんとつじつまの合った答えをしているか不安になる。
 警察にとっては楽勝の事件だからか、アパートの前の道路が交通規制されることはなかった。
 当然、通行人もけっこういて、オレを、まるで犯人を見るような目で見ていく。
「あの人、人殺し?」と言ってオレを指差す子供の口を母親があわてて押さえて小走りに去っていく(これはさすがにウソ)。
 2人の刑事の質問が終わったあとも、いろんな人がオレに質問してきた。「これから出かけるところだったの?」「おばあさんと仲良かったんだぁ」「初めてで大変だと思うけど……あ、初めてじゃない? あはは、初めてだよねぇ」とかどうでもいいことを聞いてきた。要は、オレが手持ち無沙汰にならないようにとの心づかいだったようだ。違うかも。

 そのうち、現場の責任者らしき警官が話しかけてきた。
「ちょっと、北沢署でお話を聞かせてもらってもいいですか? おばあさんも言ってたし、あなたが犯人じゃないことはわかってるんですよ、でもね、今回の状況に一番詳しいあなたに話を聞いて、いちおう書類なんか作らなくちゃならないもんでね。そんなにお手間は取らせませんから」
「あの、この格好でですか?」
「いえいえ、着替えていただいて結構ですよ」
 部屋に戻ったオレはシャツを脱いで流しに入れ、手と腕に付いた血を洗い流した。肌に付いた血は、すぐにきれいに落ちた。ツメの間に入った血はなかなか落ちないので、そのままにした。
 スラックスにも血は付いていたが、血の色が目立たない茶色のスラックスだったので、着替えなかった。上に着るものはどうしようかなと一瞬迷って、もともとその日着るつもりだった開襟シャツを選んだ。
 アパートからパトカーが停まっている場所まで、警官に伴われて50メートルほど歩かなきゃいけなかった。オレの服装は茶色のスラックスに黒の開襟シャツで、髪型がオールバックだった。通行人が「あー、やっぱり」ってな顔で見る。服装のチョイスミスだ。
 生まれて初めてパトカーに乗ったっていう嬉しさなんかはなくて、犯人だと思われたらヤダなってことだけが頭にあった。走り始めたパトカーの中で、オレはオールバックの髪をさかんにかき上げた。手錠をはめられていないところをアピールしたかったのだ。
 事情聴取には30分くらいかかった。退職間近くらいの年齢のスーツ姿のやせた刑事風が質問し、それに対してオレが答えると、原稿用紙みたいなマス目の付いた用紙に書き込んでいく。退職間近の刑事は、主語と述語をきっちりと入れて作文し、2行くらい書いてはそれを読み上げて、これでいいですねと、いちいちオレに確認する。30分かかって話した結果、出来上がった文章は400字詰め原稿用紙2枚弱くらい。当時は、たったそれっぽっち書くのに時間かけすぎじゃね? と思ったが、取材開始から完全原稿UPまで30分てのは、けっこうエラいかも。
 最後に、「これ、少なくて申し訳ないんだけど」と、事情聴取担当者とは別の若い経理刑事が1500円だったか2000円だったかをくれた。「あ、いえいえそんな」と言いながらも、うれしかった。まるっきり予期してない報酬って、額にかかわらず、人の心をつかむ。

つづく

2013年7月22日月曜日

馬鹿をめぐる名言22

ショーペンハウアー
精神と分別のあることをひけらかすことは、他の人すべての無能力と愚鈍さを間接的に非難することにほかならない。
 誰も誉めてくんないんだから、ひけらかさざるをえない。
男のあいだでは、頭が悪く物を知らないものが、女のあいだではまずい顔をしたものが一般に愛される。
 チャウチャウかっ!
出典:富裕な商人を父に、作家を母に持つドイツの哲学者ショーペンハウアー(1788~1860年)の「生活の知恵のためのアフォリズム」(『ショーペンハウアー全集11 哲学小品集Ⅱ』(金森誠也訳/白水社)より。少年時代、父の跡をついで商人になるための勉強をしていた彼は、父の死後、学問で身を立てるべくギムナジウムに入学する。そこで抜群の知的能力を見せるが、校長を馬鹿にする詩を書いて退学になってしまう。『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』(リュディガー・ザフランスキー著/山本尤訳/白水社)によると、そのとき彼は母からの手紙で「馬鹿は馬鹿として放っておけばいいのに、(中略)馬鹿者の怒りを受ける者は、自分が愚かだからで、そんな愚行におまえをそそのかしたのは、お前の『過度の賢明さ』、おまえの独善、おまえのうぬぼれだ」とぼろくそに怒られている。それにしても、あまり近寄りたくない親子だ。
初出:2008年4月7日

2013年7月20日土曜日

標語流行語キャッチフレーズ発掘その9

「防犯」の標語(昭和20年代/警視庁防犯課)
自転車は 新しいほど狙われる
寸評◎だからどうすればいいかは、各自に任せるものとする。

 ちなみに「『函館市史』デジタル版」の「第7編 市民生活の諸相(コラム) 15 市民の足、自転車」(※)によると、昭和24年、東京のビアホールでは客が店内に自転車を持ち込んでいたらしい。大卒国家公務員の初任給が4223円(人事院のHP※2)なのに、自転車は1万6000円もしたっていうからね。
参考資料:『標語・スローガンの事典』(祖田浩一編/東京堂出版/1999年)
※ http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-01/shishi_07-01-15.htm
※2 http://www.jinji.go.jp/kyuuyo/kou/starting_salary.pdf
初出:2010年5月17日

2013年7月18日木曜日

七五調の馬鹿11

近代以降その1
世の中の米は半分馬鹿が喰い
 肉襦袢絵師として滅び行く伝統文化を支える一方で、川柳でも才能を開花させた花酔(かすい)が詠んだ川柳。『川柳総合辞典』(尾藤三柳編/雄山閣出版)によると、英語などの対訳付きで川柳を掲載した雑誌「S・H・K」の創刊号(昭和12年創刊)に収められた句とのこと。ここで返句を。「世の中の米は半分馬鹿が喰い」「残りの半分備蓄に回す」。
夜が来た 兎も亀も馬鹿だった
 冨二(とみじ)(中村冨二。1912~1980年)の川柳。『川柳総合辞典』尾藤三柳・編(雄山閣出版)によると、「革新川柳の旗頭として巨きな足跡を残した」とのこと。ほかにも「太陽は一つ 卵は二つある」「たちあがると 鬼である」などの句があり、昔の革新川柳って面白ーなと感心させられた。話は変わって、冨二は「数珠買って静かな馬鹿になってゆく」という句も残している。この句は、2001年に現代川柳柳人叢書刊行会から出版された『中村冨ニ・千句集』(1981年にナカトミ書房から出版された本の復刻版)に収められているはずなのだが、都立図書館にも区立図書館にもなく、神保町でも見つからなかった。国会図書館にあることはわかっていて、そのうち確認しにいこうと思いつつ、1年半が経過してしまった。だって、国会図書館で本を1冊調べて1枚のコピーをとるだけで、半日つぶれるんだもの。
無くなりぬとおもひしものが、
ついそこにありたるがごとき
 ばからさしさかな。
 石川啄木と親交のあった歌人・国文学者、土岐善麿(ときぜんまろ)(1885~1980年)の「街と家と」と題された歌の中の一首。メガネを探してたら、な~んだ頭にかけてた、っていう類のこと。ちなみに、この短歌が収められた『日本の詩歌 11』(伊藤信吉・伊藤整・井上靖・山本健吉編/中央公論社)の解説によると、啄木が歌集「一握の砂」で三行書きを採用したのは、土岐善麿の三行書きの歌を見て、それが効果的だと思ったからなんだとか。
初出:2008年6月23日

2013年7月17日水曜日

ダジャレにひと言22 みにくいアヒルの子

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
からみにくいアヒルの子
いえいえ私はからみにくくありません。
あ、水掛け論。
初出:2012年3月21日

2013年7月16日火曜日

松原荘殺人未遂事件 その5

こんなときにそれ言うか!

 バアサンから少しも目をそらせないまま階段を下りていくと、左胸を抱えるようにした両手から長さ10センチくらいの棒状のものが出ていた。ナイフの柄に違いない。
 廊下には黒味がかった赤い色が広がっていた。小さなやせて乾いたバアサンのどこにこんなに血があったんだ? とびっくりするほど大量の血だった。
 足がぬるぬるする。
「吉田さん、これ抜いて! これ抜いて!」
 バアサンがオレの手をつかんでナイフの柄を握らせた。刃の部分は全部バアサンの胸の中に納まっていたが、骨と皮だけなので、しっかり刺さっている感じがしない。肋骨が折れているのか、ナイフはグラグラ動いた。
 オレがナイフから手を離し、バアサンの身体を支えようとすると、
「吉田さん! なんで抜いてくんないのよ!」
 バアサンは怒って自分で抜こうとする。でも、すでに筋肉が収縮してナイフの刃にからみついているので、いくら引っこ抜こうとしてもナイフは抜けない。
「上田さん、抜いちゃダメ」
 言いながらオレは、バアサンを抱えたままぎくしゃくした感じで片ひざをついた。バアサンは、立ち上がろうとしてオレのあちこちをつかむ。オレの白いシャツも手も腕も血まみれだ。
「上田さん、ナイフは抜けないから! 横になって動かないでいて!」
 オレはひざ立ちの状態から腰を下ろし、片方の太ももにバアサンの頭をのせた。
 バアサンは「あの野郎、ちくしょう、あの野郎」とうなっていたが、とりあえず横になってくれたので、オレは2階に向かって声を上げた。
「田路! 田路! ちょっと下りてきてー」
 すぐにギーという音がした。田路は軽率なやつで、そのぶんレスポンスは速い。
 1階まであと数段のところまで階段を下りて来た田路は、いつものヘラヘラ笑顔のまま固まった。
「上田さんがナイフで刺されてる。救急車に電話して! 警察は電話回線が保持されてほかに電話できなくなるから、まず救急車!」
「おう!」
 田路は、ハイテンションな声を出してすぐに階段を駆け上がった。
 オレの腕の中では、ちょっとの間だけおとなしくしていたバアサンが起き上がろうともがいたり、力が抜けたり、かと思うと白目をむいてプルプルと少し震えたりを繰り返していた。

「上田さん、誰に刺されたの?」
「あの野郎だよ」
「誰?」
「あの野郎だよ」
「誰、誰?」
 オレは必死で聞いた。
「あの野郎だよ。佐藤の野郎だよ」
 バアサンは眉根にシワを寄せて、憎たらしそうに言った。
 バアサンに呼ばれるちょっと前、佐藤さんの部屋のドアが開いて誰かがいっぺん1階まで下り、それから少しして2階のその部屋のドアが開いて、すぐにまた階段を下りて行く音をオレは聞いていた。佐藤(兄)は、日中は仕事に出かけているから、佐藤(弟)だ。
「それより、早くこれ抜いてよ!」
「抜いちゃだめだって!」
「なんで抜いてくんないの! 早く抜いてってば!」
 バアサンはオレを責めるように言う。
 そこに、興奮を押し殺してマジメな顔を保とうとしているのが丸出しの田路が下りてきた。
「誰にやられたの?」
 田路がオレに聞く。
 オレが答える必要はなかった。
「佐藤の野郎だよ」
 バアサンが言うのを聞いて、オレは思いっきりホッとした。オレが犯人ではないことは田路が知っている。もしバアサンが死んで何も言えなくなっても……。だって、バアサンの未来には、溜まっていく新聞紙しかないけど、オレの未来にはもうちょっとましなものがあるはずだもの。

 少しして、救急車だかパトカーだかのサイレンが聞こえてきた。バアサンは、まだけっこう元気だ。ときどき白目をむいて元気にピクピクしている。
 アパートの外に出た田路の、「こっちです」と言う声が聞こえ、白衣にヘルメット姿の救急隊員が入ってきた。
 救急隊員は、血だらけの床にヒザをついてバアサンの背中に片手を回した。
 バアサンは、今度は救急隊員に向かって、
「これ、抜いてよ」
 と要求した。
 救急隊員は、
「抜けないよ」
 と冷静な口調で返した。
 ほらやっぱり抜けないじゃん、と思いながら救急隊員にバアサンを託してオレは立ち上がった。血の臭いがすげーなーと感じたが、別に気持ちが悪くなるわけでもなかった。
 ストレッチャーに乗せられてもバアサンは相変わらず起き上がろうとしている。救急隊員はちょっと事務的に「寝ててください」と言い、バアサンの体を軽く押さえた。
 そこに警官や刑事が何人かやってきて、ひとりがバアサンに、「誰に刺されたの」と尋ねた。
「あの野郎だよ」
「誰、知ってる人?」
「佐藤の野郎だよ」
 オレは、ホッとした。完全に無罪だー、キャッホー。ってか無実だし。
 傷の状態がだいたい確認できたのか、救急隊員たちがストレッチャーを持ち上げた。バアサンの意識ははっきりしているし、起き上がろうとするくらい元気もあるので、救急隊員たちに切迫した雰囲気はなかった。
 そして、ストレッチャーが玄関から出た瞬間、バアサンが渾身の力を込めて上半身を起こし、オレに向かって言った。真顔で言った。
「吉田さーん! 私の部屋のカギ、閉めといてね~!」
 今、それ言うか。

つづく

2013年7月15日月曜日

馬鹿をめぐる名言 21

ハズリット
沈黙は一つの立派な会話である。いつ沈黙すべきかをわきまえた者は馬鹿ではない。
 雄弁は銀、沈黙は金の玉。
私は馬鹿にはいつも用心している。彼らはいつなんどき無頼の徒に変身するかわからないからである。
 お互いに惹かれ合っているくせに。
陽気な石頭は世に有益な存在である。そのような騒々しい石頭と一緒にいると、馬鹿でも無口でも利巧そうに見える。
 騒々しい石頭と一緒にいて馬鹿でも無口でも利口そうに見えるようになったあなたは、専門医へ。
正直者は、たとえ人を怒らせることになろうと真実を語る。無分別者は人を怒らせるために真実を語る。
「私は真実を話さない」by イビチャ・オシム
出典:モンテーニュやラ・ロシュフコーに大きな影響を受けつつ独自のスタイルを築いたイギリスの批評家・エッセイスト、W・ハズリット(1778~1830年)の箴言集『ハズリット箴言集――人さまざま――』(中川誠訳/彩流社)より。ハズリットは精緻で鋭い分析力と文章力を駆使して政治や文芸、絵画、音楽など多岐にわたる分野で批評活動を行い、また、箴言という分野でもその才能を発揮した。ただ、女性に関する箴言には、「何かあったのか? ハズリット!」と言いたくなるようなものもある。たとえば、「女は尻軽でも低能でもよい。気性と物腰さえよければ(人並みの顔は必要だが)、男を惹きつける」「女は想像力も理性も乏しい。自分のことしか考えない完全なエゴイストだ」ect……。前掲書のまえがきによると、「この箴言集を書いていた頃、ハズリットは妻と別れる覚悟で一人の女性を恋し、捨てられ、結局、妻と恋人の両方を失った。このことは、それ以後、回復できないほど深い傷を彼に残すことになった」らしい。よくある話といえば、よくある話。ちなみにハズリットはその2年後に再婚するが、まもなく離婚。ある世界文学辞典には、「イザベラにも去られる」と記されていた。「にも」だってさ。
初出:2008年3月31日

2013年7月12日金曜日

ひとり大喜利「ひとり喜利」/年を取るといろんなものが区別できなくなりますね…

年を取るといろんなものが区別できなくなっちゃいますよね。懐かしいところでは榊原郁恵と柏原芳恵とか。ほかには?
█ お題 年を取るといろんなものが区別できなくなっちゃいますよね。懐かしいところでは榊原郁恵と柏原芳恵とか。ほかには?
回答
ご飯はもう食べたのか、まだなのか。
そういう本格的なやつじゃなく。
█ お題 年を取るといろんなものが区別できなくなっちゃいますよね。懐かしいところでは榊原郁恵と柏原芳恵とか。ほかには?
回答
出川哲朗とガマガエル。
声がデカいほうが哲ちゃん。
█ お題 年を取るといろんなものが区別できなくなっちゃいますよね。懐かしいところでは榊原郁恵と柏原芳恵とか。ほかには?
回答
おそらく屁だからコイていいのか、念のためパンツをおろして便座に腰かけたほうがいいのか。
“おそらく”って言ってる時点で汁まじりだよ。
█ お題 年を取るといろんなものが区別できなくなっちゃいますよね。懐かしいところでは榊原郁恵と柏原芳恵とか。ほかには?
回答
うどんとらどん。
ラドンはカタカナで書くように。
█ お題 年を取るといろんなものが区別できなくなっちゃいますよね。懐かしいところでは榊原郁恵と柏原芳恵とか。ほかには?
回答
感動の物語と神田うの物語と神田らの物語。
いいよ、どうでも。
█ お題 年を取るといろんなものが区別できなくなっちゃいますよね。懐かしいところでは榊原郁恵と柏原芳恵とか。ほかには?
回答
おはぎとぼたもさ。
ち! さ、っじゃなく、ち! あほ! じゃ、また次回。
初出:2011年1月15日

2013年7月10日水曜日

ダジャレにひと言21 左折

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
車の運転が苦手で、右折しなきゃいけないところで挫折してばっかりです
向いてないのかな、タクシー運転手
屋根の行灯に“左折専用車”って書いときゃいいよ。
初出:2012年3月17日

2013年7月9日火曜日

松原荘殺人未遂事件 その4

我慢の限界

 松原荘に引っ越した次の日から、外へ出かけるときも帰ってきたときもトイレに行くときも、バアサンと会いませんようにと念じるようになった。
 でも、かなりの高確率でバアサンと顔を合わせる。
 バアサンの部屋のドアはいつも10センチばかり開いてんだよね。
 で、オレが外から帰ってきたとき、どんな状況になるかをケース別に見ていきたい。

ケース1:アパートの木戸も玄関も閉まっている場合。
 アパートに帰って、まず木戸をズッスーと開け、さらに玄関をガラガラと開けると、10センチ開いたドアの隙間にはすでにバアサンの顔がある。
ケース2:木戸は閉まっているが玄関が開いている場合。
 アパートに帰って木戸をズッスーと開け、そのまま3、4歩あるいて玄関に入ると、ほぼ同時にドアの隙間にバアサンが顔を現わす。
ケース3:木戸は開いているが玄関が閉まっている場合。
 アパートに帰り、そのまま木戸をくぐって玄関をガラガラと開けると、ちょっと遅れてドアの隙間にバアサンの顔が現われる。
ケース4:木戸も玄関も開いている場合。
 アパートに帰ったときに木戸も玄関も開いていると、オレがガッツポーズをとる。

 ケース4の状況でオレは、脱いだ靴を下駄箱に入れず揃えもせずに泥棒ネコのような敏捷な身のこなしでアパートに上がり込み階段を駆け上がる。
 でも! この恵まれた状況下での泥棒ネコ行動でさえ、数回に1回しか成功しなかった。バアサンのレスポンスが、驚くほど早いのだ。けっこう素早く移動したつもりでも、後ろ姿が捕捉されてしまう。なんらかの事情でバアサンの行動に遅延が生じたとしても、オレの残した物音と靴が、バアサンの次の行動を促す。すなわち「吉田さ~ん、帰ってきたの?」である。
 別に、「ただいま」「おかえり」とか、「いい天気だね」「ほんといい天気ですね」とか、「こう暑いとイヤんなっちゃうわよね」「ま、オレのせいではないにしても」「どうだか」程度の会話なら、なんの問題もないのに。話が長いんだよね。最低でも10分。78歳のバアサンと20歳そこそこの男子との間には、共通の話題なんてなく、バアサンが一方的に言いたいことを言い、オレが「あ、はい」と相槌をうつだけだし、話の内容も誰かの悪口ばっかりだし、もう、イヤ!

 バアサンに対するアパートの住人たちの対応は、次のいずれか。
A:話しかけられたら機嫌よく応じつつも歩く足は止めない。たまに2~3分程度話し相手になる。
B:アパート内で顔を合わせてもお互いに無視。たまにバアサンが文句を言うが、知らんぷり。
C:話しかけられたら、内心イヤでしょうがないが、表面上は平静を装って話し相手になる。

 Cパターンはオレひとり。Aパターンの住人も1名で、本多さんのみ。花屋さんに勤める本多さんは、オレに、「バアサンの言うことにいちいち付き合ってたら大変だから、テキトーに相手したほうがいいよ」と言ってくれた。でも、すぐに引っ越してしまった。残る住人は、バアサンの話し相手にならないBパターンのみ。本多さんの部屋に引っ越してきたのは、やはりBパターンの学生、田路であった。

 しばらくしてオレは、バアサンに見つからないようにこそこそするのをやめた。
 松原荘はどの部屋も、畳の四畳半とは別にドアを開けたところに半畳ほどの広さの板の間の台所がある。あるときバアサンの部屋のドアが全開になっていて、見ると、台所の半畳の板の間に椅子が置いてあった。1日の大半をそこで暮らしているみたいだ。レスポンスが早いのもうなずける。バアサンには四畳半なんて必要ない。台所の半と、新聞を積む窓だけで十分じゃんか。
 それと、もし、バアサンに勘づかれずにアパートに出入りできたとしても、バアサンは住人たちの下駄箱を開けて靴をチェックしていたし、夕方以降は、アパートの脇を通っている路地に出て、窓の明かりを確認しているから、オレがいるかどうかはすぐわかる。暗くなっても明かりをつけないという選択肢もあるが、それは、したくない。
 そんなわけでバアサンは、確信をもって、
「吉田さ~ん」
 と廊下の下からオレを呼ぶのだ。
 もうあきらめるしかない。
 岩手県人はがまん強い、と無理やり信じてがまんすることに決めた。

 同じ東北人でも、岩手県人に比べると青森県人はハイカラと言われているし、社交性もそこそこありそうな気もするのだが、佐藤さんのところでいつしか暮らし始めていた佐藤(弟・16歳)は、バアサンの前では無口だった(兄さんと2人で部屋にいるときの弟はけっこうおしゃべりで、思いっきりナマったしゃべり声とかキャッキャとはしゃぐ声が、薄い壁を通してオレの部屋までよく聞こえてきた)。
 佐藤(弟・16歳)は、パターンCに分類される。バアサンを無視できず、しかもバアサンに対しては無口。
 オレは、共同便所でゆるめの大をしているときにバアサンと佐藤(弟・16歳)の会話を2回ばかり聞いている。バアサンは佐藤(弟)に、「玄関をあけっぱなしにするな」「きちんと挨拶をしろ」「トイレを汚すな」「玄関の外に置いてあった雑巾を持ってっただろう」と文句ばかり言い、それに対して佐藤(弟)は、「あん」とか「んーう」とかいう返事を返す。東北人のオレには、ニュアンスでその返事の意味がわかったが、バアサンにわかるはずもなく、かえってイラついて、同じ文句を何度も繰り返していた。
 聞くだけでなく、バアサンが佐藤(弟)に文句を言っているシーンを目撃したことも何度かある。佐藤(弟)は、ニタニタ笑いを浮かべていた。困惑のニタニタなのだろうとオレは思ったが、バアサンの目には挑発のニタニタにしか映らないだろう。


 松原荘に引っ越して1年半が経過した1979年の6月。暑い日だった。昼近くになって、そろそろ学校に出かけようと準備をしていた。
「吉田さーん。吉田さーん」
 いつもの吉田コールが聞こえてきた。でも、なんかちょっと感じが違う。
「吉田さーん、これ抜いてぇぇぇ……。吉田さーんってばぁぁぁ……」
 抜いて? わけがわからなかったけど、とりあえずいつものとおり、部屋のドアを開けて階段の下を見た。
「吉田さん、これ抜いてぇぇ……」
 言いながらバアサンは胸のあたりをオレに見せようとした。
 胸も、その下のほうも黒っぽい。
 血じゃね?

つづく

2013年7月8日月曜日

馬鹿をめぐる名言 20

シラー
人間の馬鹿さ相手では、神々といえどもお手上げだ。
 つきましては、人間の変化に適応できる神を、若干名募集します。
出典:ゲーテとともにシュトルム・ウント・ドランク~ドイツ古典主義の確立に多大な貢献をした詩人・劇作家シラー(1759~1805年)の戯曲「オルレアンの乙女」(『シラー名作集』石川實他訳/白水社)より。日本での知名度はゲーテよりかなり低いが、次の詩「人質」の一節を読むと、「この話、どこかで……」と思い当たる人も多いだろう。


 「わたしは」と男は言った。「死ぬことは覚悟している、
 わが命を乞いはしない。
 だが情けがあるなら
 三日間の猶予をあたえてほしい、
 妹をとつがせたいのだ。
 友を人質に残しておく、
 わたしが帰ってこなければ、彼をくびり殺していいのだ」
 (『世界文学大系18 シラー』手塚富雄他訳/筑摩書房)


 太宰治の「走れメロス」の最後に「(古伝説と、シルレルの詩から。)」と、このシラーの詩をモチーフにしていることが記されている。
初出:2008年3月27日

2013年7月6日土曜日

標語流行語キャッチフレーズ発掘その8

「クラブ化粧品」の広告コピー(大正2年/中山太陽堂※)
化粧は武器なり
寸評◎心臓に負担をかけずにおこれるところも、あなどりがたい女の武器。
参考資料:『時代を映したキャッチフレーズ事典』(深川英雄・相沢秀一・伊藤徳三編著/電通/2005年)。
※中山太陽堂は現在のクラブコスメチックス。
初出:2010年5月6日

2013年7月4日木曜日

七五調の馬鹿10

江戸狂歌・都都逸その2
馬鹿な奴だといわれておくれ粋がわたしの身の苦労
『日本歌謡集成 巻十一 近世編』(高野辰之編/東京堂/昭和36年刊)の「巷歌集」と題した中にあった「よしこの節」(大坂で歌われた、都々逸のルーツのひとつ)。「粋(すい)」が「好(す)い」にかかっていることは想像できるが……。「オレはみんなから馬鹿だと言われている男だよ」「ああどうぞ言われておくれ。そんな馬鹿な奴を好いてしまうのは粋人のすること。粋を身上にするわたしは苦労するねぇ~」。結局、自慢か?
ぼんやりしていりゃ小馬鹿にされる力みゃやっぱり銭がいる
『風迅洞私選どどいつ万葉集』(中道風迅洞・編/徳間書店)に掲載されていた都々逸。馬鹿がらみはこれしかなかったが、面白いものがたくさん載っている。都々逸って何? って興味を抱いた方にはこの本をおすすめします。
寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く
 この戯れ歌はほうぼうで耳にするし、漫画やエッセーなどで目にもするが、出典は特定できなかった。ただ、同じ意味のことが、「世の中に寝る程楽は無きものを知らぬうつけが起きて働く」(狂言『杭か人か』)、「寝るは楽起きて地獄の夢を見る寝続けにするこれぞ極楽」(『春波楼筆記』)など、狂歌にも詠まれている。
酒も煙草も女もやらず百まで生きた馬鹿がいる
 何度か目にして耳にもしたが、どこで見たのか聞いたのか、まるで記憶にない。まあ、都々逸には違いないだろう。柳家三亀松あたりがテープやレコードに残した音源を調べていけば見つかるかもしれない。ちなみに国文学者の物集高量(もずめたかかず。1985年没。享年106)は、あと何年かで百歳になるというとき(今から30年くらい前だったと思う)に、テレビ番組「11PM」のインタビューで「女の人のどこが一番可愛いですか」と聞かれ、歯の抜けた口でうれしそうに「あそこ」と答えていた。インタビュアーの質問は、「女の人のどこが一番可愛いですか」じゃなくて、「女の人のどこが一番好きですか」だったかもしれない。
初出:2008年5月30日

2013年7月3日水曜日

ダジャレにひと言20 「すてきな奥さん」(主婦と生活社刊)

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
すてきれない奥さん
かたじけない女?
いや、かたじけられない女だろ。
初出:2012年3月8日

2013年7月2日火曜日

松原荘殺人未遂事件 その3

ボーイ・ミーツ・バアサン

 1978年1月、松原荘に引っ越した日にいったん戻ります。

「あたしは、ほら、ここの部屋に住んでる上田ってもんだけど、あんた、今日引っ越してきたんだ」
「あ、はい。吉田といいます。よろしくお願いします」
「あんた、生まれはどこ?」
「盛岡です」
「ああ、青森の?」
「いえ、岩手です」
 このころは出身地を聞かれると「盛岡」と答えていたが、盛岡がどこにあるかなんて誰も気にしてないことを知ってからは、「出身地は岩手です」と言うようになった。
「親は何やってる人?」
「公務員です」
「ウチはね、息子が大阪にいてね。日立製作所の……、日立製作所知ってる?」
「知ってます。大企業ですよね」
「ウフフウ、日立製作所のね、部長」
 そこに話を持っていきたかったのか。
「へー、そうなんですか。すごいですね」
「ふふふ~、もう、困っちゃう」
 そんなんで困るなよ。
「あんた、越してきたばかりで、わかんないことあるだろうから、何でもあたしに聞いて」
「あ、はい。ありがとうごさいます」

 話が一段落ついたかなと思ったオレは、廊下におろしていたカラーボックスを持ち上げ、引っ越し作業に戻ろうとした。
「吉田さん、これこれ、下駄箱はこれね、このツマミをつまんで、こう開ける。わかるね?」
「あ、はい」
 持ち上げたカラーボックスを、オレはまた足元に戻した。
「それからね、トイレ。トイレはこれを握って、こう回し、こう引く。ね、開いたでしょ」
 ドアノブの扱い方を教わったのは生まれて初めてだ。
「玄関は、ここに手をかけて……ん?……ああ、あんた、これはわかるか、アパートん中、入ってきてるもんね」
 普通の引き戸の開け方もわからなかったら、オレ生きていけてねーって。
「えーと、あんたは2階の201号室だよね」
「あ、はい」
「そーだそーだ、あんたの部屋のこっちっかわの隣、204号室ね、佐藤ってのが住んでるんだけど、こいつはよくないねー」
「ああ、はい……」
「ろくにアイサツもしないし、人の言うことも聞かないしさ。青森から出てきて、……あれ、あんたも青森だっけ?」
「いえ、岩手です」
「ああ、そう。じゃあ、よかったじゃない」
「あ、ありがとうございます……」
 なんじゃ、この会話?
「……で、あ、そうそう、佐藤! あんたの部屋の隣に佐藤ってのが住んでんだけどさ、こいつが、人の新聞を持ってくんだよ。あたしゃ、年はとってるけど、新聞を隅から隅まで読むからね。あんた、学生だよね?」
「あ、はい」
「だったら、新聞取るんでしょう?」
「いや、わかんないすけど……」
「新聞読まなきゃだめ。東京新聞がいいよ、夕刊はやめにして、朝刊だけ取れば、安いから。えーとね、いくらだったかな、朝刊だけなら千円もしないから、あれ、東京新聞、いくらだったかな……ちょっと待って」
「あの! それは、あとで……あとで!」
 上田のバアサンが、新聞の購読料を確認しに部屋に戻りそうな素振りを見せたので、あわてて止めた。
「ああ、そう? 契約書見れば書いてあるはずだけどねえ。あ、領収書でいいか」
「いいです! それは」
「あ、そう。で、えーと、なんだっけな、そうだそうだ、佐藤だよ、人の新聞盗んでんのは。絶対佐藤に違いないよ」
 憶測だったんだ。
「佐藤、30歳にもなってまだ結婚してないんだよ。なんの仕事してんのかわかんないけど、あんなんじゃ、嫁に来る人はいないよ、チッ」
 バアサンが佐藤さんを相当嫌っていることは、よ~くわかった。
「それで、1階の、あんたの部屋のちょうど真下がね、柴田。こいつもよくないね」
 バアサンは、今度は柴田さんの悪口を言い始めた。
 オレは本格的にユーウツになってきた。バアサンに嫌われたら、オレもそこいらじゅうで悪口を言いふらされる。もう、やだ。

 引っ越しを終えて明大前駅近くの不動産屋さんに報告に行った。
「変なオバアサンいたでしょ。いろいろ言ってくるかもしれないけど、気にしなくていいから。福祉事務所に頼まれて預かってるだけで、別に管理人でもなんでもないから」
 えー? いまさらそんなこと言われても。すでにオレ、初戦で戦意喪失してるし、そんな事情があるんだったら、気の毒でもあるし(ウソ)。
 不動産屋さんからの帰り、遠目から松原荘に目をやったら、ブロック塀越しに、バアサンの部屋の窓の一部(上のほうだけ)が見えた。新聞紙が積まれていた。カーテンいらずじゃん。

つづく

2013年7月1日月曜日

馬鹿をめぐる名言 19

ゲーテ 2
あらゆる時代のあらゆる最大の賢者たちは
ほほえみ目配せし唱和する、
馬鹿のなおるを待ちこがれるは愚!
明敏の子らよ、馬鹿どもは
やはり馬鹿のままにしておけ、それが身分相応だ!
 ごたいそう。
出典:『ニーチェ全集 第五巻 人間的、あまりに人間的 Ⅰ』(池尾健一訳/理想社)より。ゲーテの詩集ではなくニーチェの本からの引用であることに注目。ニーチェの本で馬鹿探しをしていて、偶然この詩が見つかった。なんか得した気分だった。ただ、なんという詩からの引用なのかは明記されていなかった。ニーチェもツメが甘いな。それはそれとして、完全無欠のように見えるゲーテにも読者に対する押し付けがましさのようなものがあって、それが救いだというようなことを誰かが言っていたような気がする。確か、アインシュタイン。
初出:2008年3月24日