2013年9月30日月曜日

馬鹿をめぐる名言32

オスカー・ワイルド
人間を善玉と悪玉に分けるなんて、ばかげてますよ。人間はね、魅力があるか退屈か、のどちらかです。
 自分に魅力があることを疑わないヤツは、こういうことを言う。
出典:芸術のための芸術を提唱し、数々の小説、戯曲、詩、童話を残した世紀末唯美主義者、オスカー・ワイルド(1854~1900年)の「ウィンダミア卿夫人の扇」(『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』西村孝次訳/新潮文庫)より。作品だけでなく実生活にも芸術を持ち込み、珍奇なファッションをしたり自分の男色を認めるなど当時のイギリスの人々の道徳観を逆なでしたワイルドは、「『自分は天才を生活に注いだが、作品には才能を注いだにすぎない。』とジッドに語った」(『ドリアン・グレイの肖像画』川口兼夫編/時潮社)という。その結果が刑務所行き。2年で出獄するが、晩年は相当悲惨だったようだ。
初出:2008年5月15日

2013年9月28日土曜日

標語流行語キャッチフレーズ発掘その13

「バナナ」の標語(昭和9年/台湾青果株式会社)
空気 太陽 水 バナナ
寸評◎ガッツ石松が生きていくうえで必要不可欠なのがこの4つらしい。
参考資料:角川学芸ブックス『標語誕生! 大衆を動かす力』(筑紫磐井著/角川書店/2006年)
初出:2010年7月12日

2013年9月26日木曜日

七五調の馬鹿16

近代以降その6
四月馬鹿公園を一と廻りして出る
 臼田亜浪に師事していた原田種茅(たねじ)(1897~1986年)の句集「径」(『現代俳句大系 第八巻』富安風生・水原秋櫻子・山本健吉監修/角川書店)より。種茅は東京本郷の生まれで、情を表に出さず、しかし面倒見がいいことから後輩たちに慕われていたという。作風は「即物的」とか「非情」とも評されるが、現代に生きるオレにもとっつきやすい。なんというか、クール。かっこいい。
四月馬鹿ものおもふことにつみありや
 小説家にして戯曲家、俳人でもある久保田万太郎(1889~1963年)の句集「草の丈」(『現代俳句大系 第九巻』富安風生・水原秋櫻子・山本健吉監修/角川書店)より。ご存じ久保田万太郎だ。でも、どんな作品があったか思い出せないので『大辞林』を引いたら、小説「末枯」「春泥」、戯曲「雨空」「大寺学校」と出ていた。思い出せないのではなく最初から知らなかった。かすりもしなかった。
初出:2008年9月1日

2013年9月25日水曜日

ダジャレにひと言32 そんなに健康を気にしてばかりいると

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
そんなに元寇を気にしてばかりいると、かえって体に毒ですよ
でもボクら、防人さきもりなんすよね
防人の制度は10世紀になくなったぞ。
初出:2012年7月11日

2013年9月23日月曜日

馬鹿をめぐる名言31

ニーチェ 3
賢明な人とても愚行をやらかすということを、ひとは信じない。なんという人権の侵害であろう!
 いつも腹を下してる酒飲みとても、ひどい風邪にかかり4、5日ばかり酒を断つと便秘になる。いつもならちょっと気張っただけで万事OKなのに、いくら気張ってもウンともスーともいわない。えっ! え! え! え! なんで出ない! どうしよう! パニック寸前。いつもユルユルだから気張る能力がもともと低下しているのに加え、風邪で食べる量が減ってるし運動もしてなくて腸の活動もにぶっているしで、気張り力だけではどうにもならんのです。
なんだって! 愛からでた行為は<非利己的>であるとでもいうのか? なんたる馬鹿者だ!
「愛とは自分のため」だとか言ったら
 嫌がられるけど それもあるんだよね
 ~THE YELLOW MONKEY「LOVE LOVE SHOW」(Words by 吉井和哉)より~
出典:しつこくニーチェで、「善悪の彼岸」(『ニーチェ全集10 善悪の彼岸・道徳の系譜』(信太正三訳/理想者)より。何やら小難しい本をたくさん残しているニーチェだが、とってもわかりやすくて敷居の低い箴言もたくさんある。たとえば次のような箴言。「人間がおいそれとは自分を神だなどと思わないのも、下腹部があるためなのだ」(前掲書「善悪の彼岸 第四章・箴言と間奏曲一四一」)。
初出:2008年5月10日

2013年9月20日金曜日

ひとり大喜利「ひとり喜利」/ドラゴンボールのシェンロンに何をお願いする?

ドラゴンボールでおなじみのシェンロンが、あなたの願いを叶えてくれます。何をお願いする?
█ お題 ドラゴンボールでおなじみのシェンロンが、あなたの願いを叶えてくれます。何をお願いする?
回答
まずは友だちからお願いします。
どこで遊ぶんだよ。
█ お題 ドラゴンボールでおなじみのシェンロンが、あなたの願いを叶えてくれます。何をお願いする?
回答
マチュピチュって3回言ってみて。
マチュピチュ、マチュピチュ、マチョピチョ、あっ、ではさらばだ。
█ お題 ドラゴンボールでおなじみのシェンロンが、あなたの願いを叶えてくれます。何をお願いする?
回答
テクマクマヤコンテクマクマヤコン、ちんこでかくなれ~。
いろいろと違う!
█ お題 ドラゴンボールでおなじみのシェンロンが、あなたの願いを叶えてくれます。何をお願いする?
回答
願いなんて叶えなくていい。あなたがあなたでありさえすればそれでいい。
叶えさせてやれよ、シェンロンは叶えたいんだから。
█ お題 ドラゴンボールでおなじみのシェンロンが、あなたの願いを叶えてくれます。何をお願いする?
回答
あのアイテム出して! ほらあの、ドラえもんの…。
ドラえもん!
█ お題 ドラゴンボールでおなじみのシェンロンが、あなたの願いを叶えてくれます。何をお願いする?
回答
オレは、いいっす。
おいっ! ……ま、いいか、じゃ、また次回。
初出:2011年2月27日

2013年9月18日水曜日

ダジャレにひと言31 産まれたての子馬

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
踏まれたての子馬
おかあさん、だったら、どうしてボクを産んだの?
馬主に産まされたんだろうな。
初出:2012年6月27日

2013年9月17日火曜日

東京ドメスティック日常編 5

下宿の食 その2 好き嫌いもクソもない

 おかずに魚が出たのは、ある意味事件だった。
 8月の終わりころ、佐賀出身の桜井がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「明日の朝めし、魚出る」
「うそ、なんで?」
 肉の切れはしだって1週間に1回だけなのに、魚が出るわけない。
「へへ、田舎の親に、アジの干物持たされた。大家にお土産って。あんな因業バアサンに何もやらんでいいて言ったけど、無理やり持たされた」
「あ、そう。ハハ、やった。焼き魚食える」
「重かったよ。50尾近くあるとちがうかな」
「じゃ、2回は食えるじゃん」(※下宿生は約20人なので)
「うん」

 次の日の朝食。アジの開きだった。おかずの皿の上にはアジだけで付け合わせも何もなかったけど、佐賀のアジはふっくらしてうまかった。
 下宿生の多くがアジを好意的に迎えるなか、朝食後、秋田出身の佐々木はヘコんでいた。
「俺、魚ダメなんだあ」
「少しは食った?」
「んーう、手もつけなかったよ」
「じゃ、メシはなんで食ったの?」
「しょうゆ汁だけで……」
「なんか佐々木に悪いことしたな」と言いつつ桜井は大笑い。「バアサンに50尾くらいやったから、また出るんとちがうかな」と言ってまた大笑い。
「えー、晩ご飯もまた、アジなのかな」
 可哀そうな佐々木。ぐふふ。
 でも、夕食のおかずにアジは出なかった。
 次の日もアジは出なかった。
 佐々木は喜んでいたが、「バアサンがどっかに横流ししたに決まっとる」と言って桜井は怒っていた。

 そのアジが、1週間後の朝食に出た。
「あのバアサン、何を考えているんやら」
 朝食のトレーを持った桜井がオレの部屋に入ってきた。
「どうした?」
「これ、アジ」
「え? 1週間前の?」
「うん」
「食える?」
 桜井は首を横に振って、「あのバアサン、ちっ」。
 アジの開きは明らかに悪くなっていた。くさかった。
 かくして下宿生たちはご飯としょうゆ汁だけのわびしい朝食を食べたのでした。
 ひとりを除いては……。

 ……佐々木。
 ぐふふ。アジ食ってやがんの。腐ったアジ。で、腹をこわしてた。
「この前はご飯としょうゆ汁だけ食べて、あとですんごく腹へったから、今度は無理して食べたんだけど、腐ってたのかぁ……」
「変なニオイしなかった?」
「俺ふだん魚食わないから、こんなニオイが普通なのかと思って」
 腐ったニオイと腐った味に危険を感じなかった佐々木の嗅覚と味覚って、なんか、好き嫌いもクソもないな。

初出:2010年1月25日

2013年9月16日月曜日

馬鹿をめぐる名言30

ニーチェ 2
多くのことを中途半ぱに知るくらいなら、何もしらないほうがましだ! 他人の思いすごしで賢者になっているよりも、自分の責任で馬鹿者であるほうがましだ!
 賢者の烙印。
出典:続いてもニーチェで、「わたしは悪魔がこう言うのを聞いた。『神は死んだ。人間への同情のために、神は死んだ』」でおなじみの「ツァラトゥストラはかく語りき」(『ツァラトゥストラはこう言った』氷上英廣訳/岩波文庫)より。残念ながらこれは超人ツァラトゥストラの言葉ではなく、沼地で寝ているところをツァラトゥストラに踏んづけられた「良心的な学究」のセリフ。沼地なんかで寝ているものだからツァラトゥストラに、あなたは「蛭(ヒル)を底の底まで究めようとしているのだろう?」と言われてしまう。それに対して良心的な学究は、そんな途方もないことは自分には無理で、研究対象は「蛭の脳髄に限る」と答える。――とまあ、本質を理解しようとせずに筆者のように字面だけを眺めていっても、けっこう楽しめる本かもしれない。
初出:2008年5月8日

2013年9月14日土曜日

標語流行語キャッチフレーズ発掘その12

「国民決意」の標語(昭和17年/大政翼賛会)
頑張れ! 敵も必死だ
寸評◎よそはよそ、うちはうち。
参考資料:『標語・スローガンの事典』(祖田浩一編/東京堂出版/1999年)
初出:2011年2月3日

2013年9月12日木曜日

七五調の馬鹿15

近代以降その5
四月馬鹿 莫迦を愛してルドンの絵<花>に禁色の花花群るる
 伝統的な写実短歌を否定した前衛短歌のさきがけ、塚本邦雄(1920~2005年)の昭和36年の歌集「水銀伝説」(『現代短歌大系7』大岡信・塚本邦雄・中井英夫編/三一書房)より。莫迦は、愚を意味する僧侶の隠語で、その当て字が馬鹿。ルドンは、フランスの画家オディロン・ルドンのこと。禁色は、皇族以外は着用を禁じられた色のこと。というわけで、わからない語句はなくなったが、わからん。
四月馬鹿真顔さらして花のもと
 臼田亜浪(うすだあろう)(1879~1951年)が20歳から69歳までに詠んだ句の中から弟子たちが選んで編んだ句集「定本亜浪句集」(『現代俳句大系 第七巻』富安風生・水原秋櫻子・山本健吉監修/角川書店)より。『現代俳句大系』の巻末に掲載されている年譜を見ると、大正7年「流行性感冒威を逞しうし一家枕を並べて病む」、大正9年「また流行性感冒に襲われ一家呻吟す」、大正10年「年頭流行性感冒と腫物に悩まされ臥床月余に及ぶ」とある。風邪をひきやすかったからか、寒さを感じさせる句を多く詠んでいる。
死ぬる馬鹿生きてゐる馬鹿四月馬鹿
 31歳の若さで世を去った斎藤空華(くうげ)(1918~1950年)の句を、死後、友人たちがまとめた「空華句集」(『現代俳句大系 第八巻』富安風生・水原秋櫻子・山本健吉監修/角川書店)より。肺結核にかかって死を間近にした斎藤は、「発病当初は闘病生活の辛さに一そ早く死を考え、又今でも病苦のつのる日はそう願ひます。(中略)でも人間の生命力は意外なくらいに強いものですね。死は来るでせうが、その時期は計れません」と記している。
初出:2008年9月1日

2013年9月11日水曜日

ダジャレにひと言30 服装の乱れは心の乱れ-Yahoo!知恵袋

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
質問:息子(高1)の服装のみみだれのことで悩んでいます。主人はほうっておけと言うばかりで話を聞いてくれません。でも、“服装のみみだれは心のみみだれ”って言いますし、やはり教育カウンセラーみたいな人に助言を求めたほうがいいんでしょうか?
ベストアンサーに選ばれた回答:耳鼻科行け! ※この質問は投票者によってベストアンサーが選ばれました。
質問者が望む回答はなかったんだな。
初出:2012年6月23日

2013年9月10日火曜日

東京ドメスティック日常編 4

下宿の食 その1 手作り料理よりインスタント

 1976年、18歳のオレが住んでいたのは2階建ての下宿の3畳間で、朝夕の2食が付いていた。部屋に水道はなく、1階の一番奥の配膳室に水道と流しがあった。朝夕の決まった時間になると下宿生約20人分の食事が並ぶので、各自自分の食事を部屋に運び、食い終わったら食器を配膳室に戻しておくというシステムだった。
 朝食も夕食も基本的に丼のご飯一杯と、しょうゆ汁ひと椀、おかず1品というラインナップ。
 おかずの内容は野菜炒めや野菜の煮物、野菜のてんぷらなど野菜が中心。1週間に1回だけ、コンビーフの炒め物とか、ちょろっと肉が入った野菜炒め、近所の肉屋で特売しているメンチカツが出た。魚のおかずは、オレがこの下宿で暮らした10か月間で2回だけだった。
 しょうゆ汁の具は、お麩が中心。たまに具だくさんの日もあったが、うれしくはなかった。具が、前日に下宿生が残したおかずだったから。20人分のしょうゆ汁に入れられるだけの具を確保できるということは、20人の下宿生のうち少なくとも3、4人以上は、食えずに配膳室に戻していたはずだ。ただでさえ不人気のおかずが再利用される。一粒で二度おいしいというフレーズがあるが、この場合は、一品で二度まずいということになる。
 具だくさんのしょうゆ汁に入っていたのは、たとえばインゲンのてんぷら。"しょうゆ汁にてんぷら!?"と衝撃を受けながらも、食えなくはなかった。
 でも、コンビーフのてんぷらが入ったしょうゆ汁とか、小さくカットした特売メンチカツが入ったしょうゆ汁とかは、どうしても好きになれなかった。

 こんな下宿の飯だけでは、栄養価はもちろんカロリーもまったく足りない。かといってたびたび外食するほどの金もない。そんな下宿生のお腹と心を満たしてくれるのがインスタントラーメン。
 カップラーメンもすでに普及していたが、下宿生には高かった。100円くらいした。駅の立ち食いそばでも100円の時代だ。京王線の電車の初乗り料金は忘れたが、券売機で5円玉が使えた時代だ。カップラーメンに100円は出せない。インスタントラーメンはといえば、近所の小さい食料品店で、サッポロ一番みそラーメンが30円で買えた。ほかの商品は定価なのに、なぜかサッポロ一番のみそだけはスーパーより安かった。
 問題は、部屋にも配膳室にもガスコンロのない下宿でいかにお湯を調達するか。
 カセットコンロの存在は知らなかったし、知っていても下宿生が気軽に買えるような値段じゃなかったろう。だが、金のない学生をターゲットにした商品が存在していた。用途を湯沸かしだけに特化したポットタイプの電熱器がその代表だ。アルマイト製の縦長ポットの下部に、たぶんニクロム線かなんかが仕込まれているだけの簡単な作りで、値段は数百円。ヤカンより安かった。
 この電熱ポットを使ってサッポロ一番みそラーメンを作る。

手順
1 電熱ポットに入れられるだけの水を入れる。
2 プラグをコンセントに差し込む(この時代の電熱ポットにスイッチはない)。
3 サッポロ一番みその麺を袋から出し、丼にセット。
4 お湯が沸いたら半量を丼の麺に注ぐ。
5 丼に週刊プレイボーイでフタをして、3分たったら、適当な容器にお湯を捨てる。
6 ふやけた麺の上に粉末スープをふりかけ、残ったお湯を注ぐ。
7 週刊プレイボーイでフタをし3分たったら出来上がり。

 電熱ポットのニクロム線だかなんだかはヤワですぐ切れてしまうので、1~2カ月に1個のペースで買い替えなきゃならなかった。ぜんぜん地球に優しくない。金属からなんらかの物質がお湯に溶けだしていそうで、たぶん人体にも優しくなかったはずだ。

初出:2010年1月25日

2013年9月9日月曜日

馬鹿をめぐる名言29

ニーチェ 1
他人を馬鹿だ、よくない奴だ、と言明してしまった人はだれでも、その人が結局そうでないことを示すと、腹を立てる。
 腹を立てると血圧が急上昇して心臓の冠状動脈硬化が進行するので、穏やかな心で怒鳴るように努めている。ゆくゆくは"笑いながら怒る人"をマスターしたい。
いい手本を示そうとする者は、自分の徳に微量のばかげたところを添えなくてはならぬ、すると人は見習って、同時にその模範を眼下にみおろす、――これが人々の好むところである。
 いい手本を示そうとする人は、苦手だ。
出典:ドイツの哲学者ニーチェ(1844~1900年)の「人間的な、あまりに人間的な」(『ニーチェ全集 第五巻 人間的、あまりに人間的Ⅰ』池尾健一訳/理想社)より。ちなみに、「お前の分別にひと粒の愚かさを混ぜておきたまえ。時をみてばかなことをするのもよいことだ」(『ラルース 世界ことわざ名言辞典』田辺貞之助監修・島津智訳/角川書店)と言ったのは、古代ローマの抒情詩人ホラティウス。
初出:2008年5月7日

2013年9月6日金曜日

ひとり大喜利「ひとり喜利」/大人はそんなこと言わないよ。何を言った?

大人はそんなこと言わないよ。何を言った?
█ お題 大人はそんなこと言わないよ。何を言った?
回答
横と後ろは刈り上げて、前のほうは立つか立たないかくらいの硬さで。
長さで!
█ お題 大人はそんなこと言わないよ。何を言った?
回答
おじいちゃん、スプーン曲げは飽きないですか?
ユリ・ゲラーも、そりゃとっくに飽きてるさ。
█ お題 大人はそんなこと言わないよ。何を言った?
回答
お前より強いやつを知ってる。
中2の負け惜しみか!
█ お題 大人はそんなこと言わないよ。何を言った?
回答
朝早くからミステリーサークルですか。精が出ますな。
それ言ってあげんなよ! というか、夜中に作んなさい、って話ですよ。
█ お題 大人はそんなこと言わないよ。何を言った?
回答
これがおちんちん? なんかテレビで見るより小っちゃ~い。
あほ。じゃ、また次回。
初出:2011年9月3日

2013年9月4日水曜日

ダジャレにひと言29 想像をふくらませる

お題:ダジャレにひと言足して、なんか悲しいダジャレを作ってください。悲しくなくてもいいですし。
省造をふくらませる
もう、いーよ! ふくらまねーよ! 最後にふくらましてから30年も経ってるっつーの(省造・談)
省造って誰だよ! ……あ、オレのオヤジだ。
初出:2012年6月13日

2013年9月3日火曜日

東京ドメスティック日常編 3

おまわりさんとタモリ倶楽部

 羽村取水堰で多摩川から取水された流れを源流とする玉川上水は、杉並の富士見ヶ丘運動場近くから地下の土管を流れる暗渠となる。京王線代田橋駅あたりでちょっとだけ顔を出してからまた地下へ。その地上部分が、桜の季節にだけ人でにぎわう玉川緑道(世田谷区大原2丁目26から大原1丁目43)だ。玉川緑道の東端で世田谷区から渋谷区へと入り、細い車道を横切ると玉川上水は再び開渠となり、巨大な土管からちょろちょろと流れ出る水が見える。
 ここから200メートルほどの区間は、玉川上水の両側に幅1メートルほどの細い道が付いていて、道と水面との落差が2~4メートルほどあり土手もほぼ垂直なので、歩行者が落っこちないように金網フェンスでガードされている。


 10年くらい前のこと。
 玉川緑道の東端の細い車道にパトカーが2台停まっていて、若いおまわりさんが3~4人うろうろしていた。何やってんだろう、と思いながら、その車道を横断し、玉川上水脇の細い道に入って10メートルほど歩いてから後ろを振り返った。いつもならこの位置からは、車道に設置された金網フェンスと、その下に大きな土管の口が見える。でも……。
 金網フェンスの上端の、水平であるはずのポールがV字状に折れ曲がっていた。V字の下に目をやると、土管の前に初老の男の人。顔が赤黒い。チアノーゼっていうんだっけ。噂で聞くのと違って、口も目も閉じていた。どこの穴からも体液らしきものは流れ出していなかった。
 いつまでそこにぶら下げたままにしとくつもりだよと心の中でおまわりさんに突っ込んだ。基本的にオレはそんなには動揺していなくて、でも、この事態を心の中でどう処理すればいいのか、「悲劇」「不幸」「死の尊厳」とか体裁のいいキーワードがふわふわと頭をよぎるんだけど、落ち着きどころが見つからない。
 それにしても、さっさと片付けたほうがいいよと考えつつ、また前を向いて歩き出したら、細い道の向こうから、やせた小さいおばあさんがやや下を見ながら歩いてきた。
 あんなもんを見たら、おばあさんがショックを受ける! おまわりさん、玉川上水脇の細い道を早く封鎖しないと。


 話は変わる。
 つい1年かそこら前のある日。笹塚のスーパーで買い物をして代田橋へと帰る途中、、この玉川上水の脇の細い道に、ジャンピング・ジャックがぶら下がっていたのとは反対側から入ろうとした。すると、30歳くらいのそうとうダサい部類に入る髪形と服装の男がオレに向かって話しかけてきた。
「えーと、すみません、今、タモリ倶楽部の撮影をしておりまして、この細い道をすぐ、撮影隊が大勢やってきますので、ちょこっと回り道していただけますか」
 ダッサくてショボい見た目なのに、言い方も普通なのに、強い。ジャンピング・ジャックのときのおまわりさんとは、場数がぜんぜん違うんだろう。オレは素直に従った。左の玉川上水沿いの道を行っても右の車道でも30秒も違わない。車道を歩き出し、180メートル先の信号で左に曲がると、60メートル先で玉川上水と合流する。
 タモリ倶楽部の撮影隊は、まだそこにいた。オレはタモリさんから3メートルほど離れたところを通り過ぎて、玉川緑道に入った。タモリさんは車道の端に立ち、ジャンピング・ジャックがぶら下がっていた金網フェンス(新しいものに交換済みだけど)に手をかけて、玉川上水を見下ろしていた。何日かあとに「タモリ倶楽部」を見たら、「あのコンクリが水門の跡なんですか」とか、そのちょっと先の道で「タコの吸い出しってあるけど……え! 今でもまだ作ってるんですか」とか言っていた。


 話は戻る。
 ジャンピング・ジャックを目撃したのちに、オレがまた細い道を歩き出したとき、反対側からやせた小さいおばあさんがやって来たんだった。
 オレは考えた。おばあさんのところまで小走りで近づいて、別の道にそれるように助言すべきじゃないのか。でも、オレにそんなことできるか。そんな葛藤をしてる間に、おばあさんは顔を上げた。
 それを目撃したに違いないおばあさんは立ち止まった。鼻の上のほうにシワを寄せ、口を開いた。
「気持ち悪っ!」
 そ、そういうストレートな感情を持ってもいいんだ……。
 オレって、心の中でもいろいろといい人のふりをこいてるよなあと思い知らされた出来事なのでした。

初出:2009年12月19日

2013年9月2日月曜日

馬鹿をめぐる名言28

ハーディ
百年てば、人々の眼も変り、心も変る。
流行も改まる。新時代の愚者と賢者が生まれよう。
人は新しい悩みを嘆き、新しい喜びに酔うだろう。
 100年たてば、政権も変わる。っつーか、政権交代が100年のスパンて! 奈良・平安時代の遷都じゃないんだから。!
出典:小説家としても詩人としても成功したイギリスの文豪トマス・ハーディ(1840~1928年)が百年後の世の中に思いを馳せて書いた詩「1967年を想う」(『筑摩世界文学大系88 名詩集』篠田一士編・森亮他訳)の一節。ハーディの代表小説にして、当時の性的タブーを破ったとしてボロクソに非難された(※)ために小説をやめて詩作に専念するきっかけともなった『ダーバヴィル家のテス』は、ロマン・ポランスキー監督によって1979年に映画化(タイトル「TESS」、邦題「テス」)されているが、もうだいぶ前のことになるので若い方はご存じないかもしれない。最近でいうと、マイケル・ウインターボトム監督がメガフォンをとった「日蔭のふたり」(1996年公開)と「めぐり遭う大地」(2000年公開)の原作がやはりトマス・ハーディの小説。マイケル・ウインターボトムというのは、映画「24アワー・パーティ・ピープル」の監督としても知られ……、と書きながら、オレが一番最近、映画館に観に行った映画ってなんだっけと考えてみたら、「ゴッドファーザーPARTⅢ」(1990年公開)だった。オレは映画にそれほど興味がないんだよね。
※当時の日記にハーディは、「もしこういうことが続くなら、小説の筆を折らなければならない。撃たれるのがわかっていながら立ち続ける馬鹿はいない」と記している(『トマス・ハーディ 人と思想152』倉持三郎著/清水書院)。
初出:2008年5月1日