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2014年2月17日月曜日

馬鹿をめぐる名言51

ウィトゲンシュタイン 1
わたしたちの最大の愚かさは、きわめて賢明なものである場合がある。
 その“わたしたち”の中にあっしは入ってやすかい?
馬鹿がニヤニヤ笑った顔をしていると、わたしたちは「馬鹿はまるで悩みなどない」と思ってしまうのだが、馬鹿は馬鹿なりに、利口な人間とはちがったところで、悩みをもっているのだ。馬鹿には、いわば頭痛はないが、それ以外の苦しみは、人並みに味わっているのである。
 そんなことばっか考えてんのか?
出典:ケンブリッジ大学でバートランド・ラッセルに学び、その後いろいろあったもののイギリスでブイブイいわしたウィーン生まれの哲学者ウィトゲンシュタイン(1889~1951年)の未刊行のメモを集めた『反哲学的断章』(丘澤静也訳/青土社)より。
初出:2008年7月21日

2014年2月10日月曜日

馬鹿をめぐる名言50

フェルナンド・ペソア
人はなにも知ることはできないし、思考は森羅万象の輝きを奪う。だから、われわれのうちで欲望や期待を消し去り、世界を説明しようとするちっぽけな野心や、世界を良くしたり支配しようなどという馬鹿な企てを起こすのは止めたほうがよい。すべては無なのだ。
 お腹すいてるんでしょ、こっちきて、ごはん食べなさい。ごはん食べれるうちは、大丈夫だから。すべてが無なのはさ、それはいいのさ、それはね、いいから、ごはん食べなさい 。ほら、梅干もあるし、足りなかったら瓶詰めでも開けるか? ウニはさすがに高いからアレだけど、海苔の佃煮もあるし、えっ? いらない? 和食ダメだったんだ!! そうかそうか、あんた、フェルナンドだもんね。
出典:虚無に彩られた警句風の言説が頻出する、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソア(1888~1935年)の散文作品「不穏の書」(『不穏の書、断章』澤田直訳/思潮社/2000年)より。
初出:2008年7月14日

2014年2月3日月曜日

馬鹿をめぐる名言49

ローベルト・ムージル 3
かなり野心的な小説で、ほとんど匿名の読者のあいだをしばらく貸本として回覧された本の欄外に見出される書き込みを、どうかご欄になっていただきたいものです。読者が作者と二人だけになれるここでは、読者の判断が好んで「馬鹿!」という言葉で表現されたり、「低能!」「ナンセンス!」「度しがたい阿呆!」などという、愚かさと同等の言葉で表されたりします。
「馬鹿! 低能! ナンセンス! でも好き」とか言われてみてーな。
出典:そしてまた今回もローベルト・ムージルの『ムージル・エッセンス ――魂と厳密性』(圓子修平・岡田素之・早坂七緒・北島玲子・堀田真紀子訳/中央大学出版部)の中から、1937年に行なわれた講演「愚かさについて」(岡田素之訳)より。
初出:2008年7月9日

2014年1月27日月曜日

馬鹿をめぐる名言48

ローベルト・ムージル 2
誰かに面と向かって、あなたは天才だとか聖者だとか述べたりすれば、それは自分自身に関してそう主張するのとほぼ同じく、言語道断なことでしょう。
 面と向かってあなたは天才だとか神だとか言われたら、こう返そう。

「うるせー」
出典:今回もローベルト・ムージルのエッセイなどを集めた『ムージル・エッセンス ――魂と厳密性』(圓子修平・岡田素之・早坂七緒・北島玲子・堀田真紀子訳/中央大学出版部)の中から、1937年に行なわれた講演「愚かさについて」(岡田素之訳)より。
初出:2008年7月9日

2014年1月20日月曜日

馬鹿をめぐる名言47

ローベルト・ムージル 1
愚かさについて語ったり、あるいはその種の会話に居合わせて利益を得ようとする者は、いずれも自分は愚かでないと思いこんでいるに相違ない(中略)、したがって賢いと思っている自分をひけらかす(中略)。もっとも、そんな真似をするのは一般には愚かさのしるしとみなされるものですが!
 自分を賢いと思っているかどうかは、人に対してああしろこうしろ、ああするなこうするなと口出しするかどうかでもある程度判断できる。
出典:一部でプルーストやジョイスと並び称される――とりわけ、未完に終わった小説『特性のない男』(加藤二郎訳/松籟社/第1~6巻)への評価が高い――オーストリア生まれの作家ローベルト・ムージル(1880~1942年)のエッセイなどを集め、またムージルの生涯や作品解説、年譜、索引などもたいへん充実した――もっとも、本文は、このサイトの筆者の読解力では歯が立たなかったのだが――『ムージル・エッセンス ――魂と厳密性』(圓子修平・岡田素之・早坂七緒・北島玲子・堀田真紀子訳/中央大学出版部)の中から、1937年に行なわれた講演――講演だけあって、深い意味は別として表面的には筆者にも理解可能!――「愚かさについて」(岡田素之訳)より。えらいもんで、こんな書き方をしても本人(吉田BK)には意味がわかる。
初出:2008年7月9日

2014年1月13日月曜日

馬鹿をめぐる名言46

トーマス・マン 2
孤独は独創的なものを、思いきって美しい、あやしいほど美しいものを、詩というものを成熟させる。孤独はしかし、倒錯したもの、不均衡なもの、愚かしいもの、不埒なものをも、また成熟させるのである。
 孤独や自由は変化をもたらす。その対極にあるしがらみや安全は維持を望む。
出典:続いてもトーマス・マンで、小説『ヴェニスに死す』(実吉捷郎訳/岩波文庫)より。この岩波文庫の著者クレジットは「トオマス・マン作」となっているが、たとえば1994年第40刷発行のスタンダール『恋愛論』では、「○○作」ではなく「スタンダール著」となっている。発行する時期や作者の違い、訳者の考え方によって、使い分けているのだろうか。しかし、「トオマス・マン作」だと、外国文学にうとい人は、「トーマス万作」と聞き違える恐れがある。やっぱり「○○著」のほうが……あ、……この話、忘れてください。
初出:2008年7月2日

2014年1月6日月曜日

馬鹿をめぐる名言45

トーマス・マン 1
馬鹿にもさまざまな種類の馬鹿があって、利口なのも馬鹿のうちのあまり感心しない一種であるようです。
 小さい子供とか犬とかに対して「利口」って言うぶんには誉め言葉になるけどね。
出典:ドイツの100年以上続く商家(穀物問屋)に生まれたトーマス・マン(1875~1955年)の、教養丸出しの小説『魔の山』(関泰祐・望月市恵訳/岩波文庫)より。
初出:2008年6月30日

2013年12月23日月曜日

馬鹿をめぐる名言44

カール・クラウス
専門家はおしなべて、おのが専門においては馬鹿であるとのジャン・パウルの言葉を好んで引用する男がいた。彼はおしなべてどの専門にも通じていた。
 広く、深く、馬鹿。
鏡よ 壁の鏡よ 教えておくれ
この世でだれが 一等お馬鹿?
 鏡は当然こう答える。「2番目があなた」。
出典:このちょっとあとで紹介するヴィトゲンシュタインや、ずーっとあとで登場するエルヴィン・シャルガフにも影響を与えたオーストリアの批評家・詩人・作家カール・クラウス(1874~1936年)のアフォリズムを集めた『カール・クラウス著作集5 アフォリズム』(池内紀編訳/法政大学出版局)より。25歳のとき(1899年)に創刊し、死の年まで続けた個人雑誌「ファッケル」(炬火)でクラウスは、大新聞が見て見ぬフリをしてまったく扱わないネタを取り上げて、大胆に告発し容赦なく糾弾した。そのため、多くの敵を作る一方で、ヴァルター・ベンヤミンなど進歩的な知識人からは熱い支持を受けた。だが晩年、ナチスの台頭を糾弾した号の刊行をやめたことで、それまで好意的だった人々からも中傷を受け、間もなくこの世を去った。ちなみにジャン・パウル(1763~1825年)は、一時期ゲーテと肩を並べるほどの人気を誇ったドイツの小説家・詩人。
初出:2008年6月25日

2013年12月16日月曜日

馬鹿をめぐる名言43

バートランド・ラッセル 2
本当の天才は常に謙虚である、という馬鹿げたことを述べた人間がいたが、これは事実とは正反対である。能力ある若者でも彼がもしも謙虚な性格ならば、親や友人に嘲笑されてその天才は抑えられる。
 本当の泉ピン子は常に謙虚である。
どんな時代でも変らぬものは、老人たちは退屈で馬鹿げているという信念である。それは進歩の原因であるゆえに、最も健全な信念にちがいない。希望が存在する余地のない唯一の時代、それは若者が老人を尊敬する時代にほかならない。
 尊敬しなくても、目指さなくても、努力しなくても、たいていは老人になれるから安心してください。
出典:引き続いても長文シリーズで、アメリカの新聞に連載されたラッセルのエッセイをまとめた『人生についての断章』(中野好之・太田喜一郎訳/みすず書房/初版1979年、新装版2005年)より。「馬鹿」を探す目的とはいえ、人生に関する本を何冊も読んでいるうちに、筆者ももっとちゃんとしなきゃいけないな、とだんだん思いはじめたり、はじめなかったり。過ちを認めて改めるのに年齢は関係なくて、60歳になってからでも70歳になってからでも改めればいいっていうから、まだ今は改めなくて大丈夫さ。
初出:2008年6月20日

2013年12月9日月曜日

馬鹿をめぐる名言42

バートランド・ラッセル 1
不合理が、愚かな考えや感情をあなたの意識に押しつけようとするときには、いつもこれらを根こそぎにし、よくよく調べ、拒否するといい。半ば理性によって、半ば小児的な愚かさによって振りまわされるような、優柔不断な人間にとどまっていてはいけない。あなたの幼年時代を支配した人たちの思い出に対する不敬を恐れてはならない。当時、彼らが強く賢く見えたのは、あなたが弱くて愚かだったからにほかならない。いまや、あなたは弱くも愚かでもないのだから、あなたの仕事は、彼らの見かけ上の強さと賢さを点検し、あなたがいまだに習慣の力で払っている敬意に、はたして彼らが値するかどうか考えてみることだ。伝統的に子供たちにほどこされている道徳教育によって、はたして世の中がその分だけよくなったかどうか、真剣に自問してみるがいい。
 つまり、社会に出ていろんな人と接していると、親って、親が自分で言うようなたいしたものなんかじゃなかったんだって気づかされるってことか。※個人の感想です。
出典:イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872~1970年)が、人が不幸になる原因と、それを取り除くための考え方を、難しい言葉をほとんど使わずにわかりやすく述べた『ラッセル 幸福論』(安藤貞雄訳/岩波文庫)より。方南町のブックオフで105円で買って、「鉛筆とかの書き込み、あったらヤダな」と歩きながら片手でビローンとしごいて中味をざっと確認したところ、最後に、文庫本ピッタリのサイズに切った手書き文書のコピーが貼り付けてあった。この本を長年、ことあるごとに開き、ラッセルの言うことに間違いはないと確信、××さん(女性の名前)にとってもこれが人生の道しるべになると信じて贈るというようなことが書かれている。一気にテンションがダウンしたものの、本自体には書き込みもなければ端っこを折った形跡もなく、なんなら読んだ形跡すらない。ペリっと破って捨てたいという気持ちを抑えつつ、贈り主の男性の名前と贈り付けられ主の女性の名前をじっと見る。…………お? 同姓同名のあんまりいなさそうな名前だ! それならと、googleで検索。あらら、、、どちらもヒットした。。。女性は、ある分野の本を何冊か出している専門家。男性は大学教授で……あ、専門分野が一緒だ。キャー! 三谷さ~ん!
初出:2008年6月18日

2013年12月2日月曜日

馬鹿をめぐる名言41

ポール・ヴァレリー 3
或る人々は己れを愛するくらい馬鹿、他の人々は己れを憎むくらい馬鹿だ。
 同じ馬鹿なら愛したい。
出典:またまたヴァレリーで、警句や詩などさまざまな断章を集めた「雑集」(『ヴァレリー全集 3 対話篇』/落合太郎・鈴木信太郎・渡辺一夫・佐藤正彰監修/佐藤正彰他訳/筑摩書房/1967年初版・1977年増補版発行)より。
初出:2008年6月13日

2013年11月25日月曜日

馬鹿をめぐる名言40

ポール・ヴァレリー 2
 愚鈍とはひとに見えるものが見えないことである。非力とはひとにできることができないことである。
 が、誰も見えるもののいない場所、またできるもののいない場所には、愚鈍も非力もありようがない。
 二つ目の段落の冒頭の「が」は逆説の接続詞である。
 が、「が」じゃなくて「で」でもいいし、なくてもいい。
 人間が申し分なく堅固に愚鈍なとき、論理的価値の差異に気がつきさえしないとき、反対論の手妻に気附かぬとき、素朴で無邪気な印象を真正さ等々と混同するとき、かれのうちなる意見は信念と命名される。
“信念の人”と呼ばれている人が、ちょとムッとする。
出典:お察しのとおり今回もヴァレリーで、『ヴァレリー全集 9 哲学論考』(落合太郎・鈴木信太郎・渡辺一夫・佐藤正彰監修/筑摩書房/1967年初版・1978年増補版発行)に収められた「残肴(アナレクタ)」(寺田透訳)より。
初出:2008年6月11日

2013年11月18日月曜日

馬鹿をめぐる名言39

ポール・ヴァレリー 1
感情の表現とは、いつだって馬鹿げたものなのである。
 ┐(-д-;)┌
私は馬鹿者の意識がいかなるものかは知らぬ、だが、才気に富む人の意識は愚かしさにみちみちているものだ。
 才気丸出しにしてっからバレるんだよ。
出典:名前を聞いたことはあっても代表作を挙げろと言われると「知らない」としか答えようのない、詩をはじめとして多彩な著述活動を行ったフランスのポール・ヴァレリー(1871~1945年)の、(たぶん)小説「テスト氏」(『世界文学大系51 クローデル ヴァレリー』訳者代表・佐藤正彰/「テスト氏」に関しては村松剛・菅野昭正・清水徹訳/筑摩書房/昭和35年発行。同作品は、たとえば岩波文庫では「ムッシュー・テスト」というタイトルです)より。近所の図書館には、ヴァレリーの作品を読める本がこの1冊しかなかった(しかもクローデルとの抱き合わせ……クローデルって誰さ?)。巻末の解説を見たら、この『世界文学大系51 クローデル ヴァレリー』にはほんの一部の作品しか収録されていないんだとか。ネット検索で世田谷区立図書館全体の蔵書を調べてみると、他にもけっこうたくさんある。なので、次回もヴァレリーでいけるかな。
初出:2008年6月9日

2013年11月11日月曜日

馬鹿をめぐる名言38

アラン
過去を当てにするのは、過去を嘆くのとまったく同じように愚かなことだ。
 人の金をあてにするのが資本主義の基本だ。
出典:フランスの思想家、アラン(1868~1951年)の『幸福論』(神谷幹夫訳/岩波文庫)より。アランには哲学・芸術関連の著作もたくさんあるのだが、図書館の哲学や芸術の棚にはほとんどない。本人の著作よりも、アランの言葉を取り上げて人生を論じた本のほうがたくさん読まれているようで、 “人生訓”とか“生き方”とかいう棚でよく見かける。よって、敬遠されることも多い。なんか、損してるな、アラン。「幸福論」にしたって、別に幸福を論じた本なんかじゃないし。……と書いたが、やっぱり得しているのかも。
初出:2008年6月4日

2013年11月4日月曜日

馬鹿をめぐる名言37

チェーホフ
一人の賢者にたいして千人の愚者があり、一の至言にたいして千の愚言がある。この千が一を圧倒する。
 賢者って、影響力がない。
男と交際のない女はだんだん色せる。女と交際のない男はだんだん馬鹿になる。
 交際があろうがなかろうが、年齢を重ねるにつれ、だいたいはそうなる。
 ※個人の感想です。
出典:人間の愚かさを好んで描いたロシアの小説家・劇作家、チェーホフ(1860~1904年)がノートに残した創作のための覚書や箴言めいた言葉をまとめた「手帖」(『チェーホフ全集14』神西清他訳/中央公論社)より。
初出:2008年6月1日

2013年10月28日月曜日

馬鹿をめぐる名言36

バーナード・ショー 3
結局、馬鹿なやつが勝つんだよ!
 馬鹿なヤツが勝つんじゃない。勝ったヤツが馬鹿なんだ!
出典:もひとつバーナード・ショーで、喜劇『傷心の家(Heartbreak House)』(飯島小平訳/新書館)より、88歳の老船長のセリフ。この本のカバー袖には「ロンドン郊外の中産有閑家庭に舞台をおいて、まるでゲームかなにかのように恋愛遊戯にあけくれる人々の姿を、ショー一流の鋭い機知と諧謔によって描いている。その仮借のない痛烈な笑いはナンセンスにまで昇華されている」との紹介文があるが、鋭い機知も諧謔もナンセンスも、仮借も昇華も、恋愛もゲームもオレの得意分野ではない。だから、本編を読み終え、解説文を読んでいるときに「あっ! これ喜劇だったんだ」とやっと気づいたりもするのである。
初出:2008年5月28日

2013年10月21日月曜日

馬鹿をめぐる名言35

バーナード・ショー 2
バカな真似をせずして、なんの人生ぞ? むつかしいのは、はめをはずす対象を見つけることだ。機会をのがすな。
 20代後半ごろに勤めた会社で、「吉田君、馬鹿になろうよ!」と社長に言われた。はめをはずす対象も指定された。平たく言うと、"ごちゃごちゃ考えてないで契約をとってこい"ということだった。
出典:続いてもバーナード・ショーの『ベスト・オブ・ショー 人と超人 ピグマリオン』(倉橋健・喜志哲雄訳/白水社)から今度は、映画「マイ・フェア・レディ」の原作としても知られる「ピグマリオン」の中のヒギンズのセリフ。“ピグマリオン”ってのは、自分で彫刻した像に恋をしたキプロス島の王の名前で、あまりにぞっこんなものだからアフロディーテがこの像に命を与えてピグマリオンの妻にさせたんだとか。
初出:2008年5月27日

2013年10月14日月曜日

馬鹿をめぐる名言34

バーナード・ショー 1
愚鈍は苦役と貧困によって現実の味を知り、ために卑劣さや残酷さと化する。かと思えば、想像力は、こういう現実に直面するよりも餓死するほうがましだと思う、そして幻を積み重ねて現実をおおい隠し、そうするおのれを才気だの天才だのと呼ぶ!
 もしも現実を覆い隠せるくらいの想像力があったなら。
出典:人物の紹介文に必ずと言っていいほど「皮肉屋」という枕言葉が付き、名言集の常連なのに実際に作品を読むのは演劇関係者だけじゃねーの? って思いたくなるほど図書館の蔵書も貧弱なイギリスの劇作家バーナード・ショー(1856~1950年)の戯曲「人と超人」(『ベスト・オブ・ショー 人と超人 ピグマリオン』喜志哲雄他訳/白水社))より、夢の中の地獄で悪魔&他2名と議論するドン・ファンのセリフ。さて、「超人」ということで、ニーチェに触れている悪魔のセリフを引用。「なにしろ、生命の力を頭から信じ込んだ奴でね。この男ですよ、超人だなんて、プロメテウス以来のお古い代物を掘り出して来たのは」「ワーグナーが一度ついふらふらと生命の力を信じこみましてね、ジークフリートという超人を作り出したんですよ。だがあとで正気に戻りました。だもんで二人が顔を合わせると、ニーチェはワーグナーを裏切り者と決めつける、ワーグナーはニーチェがユダヤ人だってことを証明するパンフレットを書く、とどのつまりは、むっとしたニーチェが天国へ行く、とこうなんですよ。いや、いなくなって助かったのはこっちも同様」。ワーグナーとニーチェの闘いがエスカレートするかと思ったら、ニーチェはむっとしただけ……ウケる。
初出:2008年5月26日

2013年10月7日月曜日

馬鹿をめぐる名言33

アルチュール・ランボー
恥知らずになれ。馬鹿になるんだ。野獣であれ!
野獣は
  ムリだよ。
    オレって、
      おとなしいもの。
出典:『イリュミナシオン ランボオ詩集』(金子光晴訳/角川文庫)に収められた「第一詩集」から「巴里蕃息(パリばんそく)」の中の一節。てっきり、ランボーって20歳くらいで死んだんだと思っていたが、1854年10月にフランスで生まれ、死んだのが1891年11月というから……37歳! 思ったより生きている。詩を書いていたのは15歳くらいから20歳までなので、早死にしたようなイメージが……。っつうか、ラディゲとごっちゃになってたのか……。まあ、いずれにしても、20歳くらいで詩をやめたあとは世界を放浪し、30歳前後には一時的に商売で成功して、けっこうな金を手にしたこともあったらしい。ちなみにアントニオ猪木も『猪木詩集 馬鹿になれ』(角川書店)を出している。
初出:2008年5月21日

2013年9月30日月曜日

馬鹿をめぐる名言32

オスカー・ワイルド
人間を善玉と悪玉に分けるなんて、ばかげてますよ。人間はね、魅力があるか退屈か、のどちらかです。
 自分に魅力があることを疑わないヤツは、こういうことを言う。
出典:芸術のための芸術を提唱し、数々の小説、戯曲、詩、童話を残した世紀末唯美主義者、オスカー・ワイルド(1854~1900年)の「ウィンダミア卿夫人の扇」(『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』西村孝次訳/新潮文庫)より。作品だけでなく実生活にも芸術を持ち込み、珍奇なファッションをしたり自分の男色を認めるなど当時のイギリスの人々の道徳観を逆なでしたワイルドは、「『自分は天才を生活に注いだが、作品には才能を注いだにすぎない。』とジッドに語った」(『ドリアン・グレイの肖像画』川口兼夫編/時潮社)という。その結果が刑務所行き。2年で出獄するが、晩年は相当悲惨だったようだ。
初出:2008年5月15日