落書きで書いていい3文字と書いちゃいけない3文字――後編
眉毛と首の落書きで盛り上がった呑み会の1週間後、4人はもちろん中村のアパートに集合した。
「おめぇたち、ほんと
止めてけろ!」が八戸の第一声だった。「腹にまで書くことねがべ! 銭湯に行って、シャツ脱いだらよー、“へっちょ※”って!」
「うふふふははは」
怒る八戸と、思い出し笑いの3人。そういえば、「このげ」と「くぴた」だけでなく、八戸のシャツをめくって腹にも落書きをしたんだった。
※「へそ」を意味する「へっちょ」は盛岡弁ではない(はずだ)が、「アップダウンクイズ」というクイズ番組がきっかけで、ちょっとした「へっちょブーム」になっていた。
「笑ってる場合じゃねーぞ」
「うふふふんははは」
「あー! って思って腹隠してよ、ゴスガスこすっても、なかなか落ちなくてよ!」
「うひひひひ」
正当な怒りではあったが、これ以後も八戸は毎度毎度、酒を呑んでは無防備な姿を見せるものだから、落書きは止められなかった。
朝起きると八戸はルーティーンワークをこなすように顔の落書きを消し、シャツを脱いで腹や胸の落書きを消した。
初めての落書きから数か月が経過して八戸も落書きされることにすっかり慣れ、「油性はダメだ、水性にしろよ」とたまにボヤく程度になったころ。
「おめえたち、ほんといい加減にしろよ、顔から火ぃ出たぞ!」
会うなり八戸が怒りだした。
3人は何のことかわからない。
「何怒ってんだ?」
「背中!」
「は?」
「せ・な・が!」
「だから背中が何よ」」
「おめえら、背中にマ○コって書いたべ!」
「ん?」
「銭湯さ入って、なんかみんなオレのこと変な顔して見てるなあって思って……」
「あー! アハハハハ」
「アハハじゃねえぞ! なんぼなんでも背中にまで書くことねがべ!」
かなり怒っていた八戸だったが、呑み始めて1時間もするとやはりいつものように寝てしまった。
翌朝。
いつもは顔の落書きからチェックする八戸は、この日はまずシャツを脱いで手鏡を後ろに回し、背中の落書きから探し始めた。肩のあたりから始まって腰のあたりまで、時間をかけてしっかりチャックしている。
「背中には書いてねえって」
ちょっと鼻で笑いながら中村が言った。
「信用しろってか?」
そう言って八戸は、脇の下、腕の後ろ側も鏡に映してしっかり見る。
背中側のチェックを終えた八戸は、今度は鏡を体の前で構えた。
中村が不思議なものを見るような顔をした。
八戸はというと、やりにくそうに鏡の角度を調節しながら胸と腹を映して落書きのチェックをしている。
「おう、八戸、背中を鏡で見るのはわかるけど、なんで腹を鏡さ映して見てるんだ?」
「ん? ……ああああ! 前は、鏡はいらねえか。どおりで見にくいと思った」
3人、大爆笑。
落書き熱はこの頃をピークにみるみるさめていった。
ブームが去ったあとは、たまに、ワンポイント的に小さな落書きを書く程度だった。
八戸は、習慣として朝の落書きチェックを続けていた。
夏休みに入ってすぐの週末。いつもより入念な落書きチェックを終えた八戸は、自分のアパートには戻らずに、そのまま帰省した。
そして夏休みが終わり、久しぶりに中村のアパートに集合した。
八戸はバイトの都合でちょっと遅れるらしい。オレと吉田、中村の3人で呑み始めた。
中村「あいつ、なんか怒ってたっけぞ」
オレ「なんで?」
中村「落書きがオヤジに見られて、なんだらかんだらって言ってたっけ」
吉田「落書き?」
中村「なんだか、よくわからねえけど」
30分後。八戸が合流した。
八戸「おめえたち、ほんとシャレになんねーぞ!」
中村「何がよ?」
八戸「何がよ、っじゃねーって。落書きしたべ!」
吉田「いっつもだべ」
八戸「オヤジによ、『お前そんなところに何書いてるんだ!』って言われて、何のことだかわからなくて……」
3人「んで?」
八戸「マ○コって書いたべ! オヤジにそれ見られたんだぞ」
中村「あの堅いオヤジ? 組合の委員長の?」
八戸「委員長じゃねえ、副委員長だ!」
オレ「んふ」
吉田「おめえ、田舎さ帰る前に、落書きされてねえか、ちゃんと見てたっけよな」
八戸「んだけどよ!」
中村「書いたっけかな」
八戸「書かれてた!」
中村「んだば、なんでおめえは気がつかねかったんだ? オヤジにはすぐわかったのに」
オレ「んだよな」
八戸は、ムッとした顔で一瞬黙ってから口を開いた。
八戸「足の裏!」
3人「ん?」
八戸「足の裏さマ○コ!」
3人「ああ!」
思い出した3人、大爆笑。
足の裏って、書いたほうも忘れるくらいの意外な盲点。
呑んだ次の日にそのまま帰省したのが敗因だ。銭湯に行っていれば落書きを見つけられたのに。あ~あ、おかし。
初出:2010年4月20日