2013年10月1日火曜日

東京ドメスティック日常編 6

落書きで書いていい3文字と書いちゃいけない3文字――前編

 オレ吉田BK(以下:オレ)ともうひとりの吉田(以下:吉田)、中村、八戸(仮名)という盛岡出身の4人組は20代のころ、週末になると集まって呑んでいた。
 たまに居酒屋に出かけることもあったが、10回に9回は狛江在住の中村のアパートで呑み、みんな泊まった。

八戸「えーと、あのよー」
みんな「何?」
八戸「……」
みんな「だから何?」
八戸「……」
中村「なんだおめえ、黙るな!」
八戸「ああ、わるいわるい、あの、きのうの前の日に……」
みんな「はあ? きのうの前の日?」
吉田「きのうの前の日って、“おととい”だべ?」
八戸「ああ! んだ!」
みんな「うふふふんははは」
八戸「“おととい”って単語が出て来なくて、“一昨日(いっさくじつ)”って言葉が浮かんだんだども、それじゃあんまり堅苦しいかなと思ってさ」

 八戸は、狙って笑いをとることもできる一方で、笑われる能力にも非凡なものがあった。

 酒を呑み始めて1時間ほどすると八戸はいつも決まって睡魔に襲われる。
 まぶたが閉じそうになり、いけねって感じで目ん玉をグリンっと1回転させてから復活するので、その場にいる者には八戸が一瞬眠ったことがわかる。
 この"目ん玉グリン~復活"を4、5回繰り返したあたりで八戸は睡魔への抵抗をやめる。
 そして座ったまま、目をつぶり、口呼吸を始める。
 そうすると中村が、八戸の体を揺すりながらでかい声を出す。
「寝るな!」
 八戸はすぐに正気に戻る。
八戸「いやいやいや、寝てねーぞ」
中村「おめえ、今、目つぶってたべ」
八戸「ちょーっと考え事してただけだじぇ」

 こんなことを何回か繰り返してそのうち飽き、しばらく八戸を放っとく。と、八戸はやすらかな眠りに包まれ、オレらに無防備な姿をさらす。
 何の警戒心も抱かずに無防備な姿をさらすことのできる時代は、いつか終わる。
 あるとき、中村が、細いマジックペンを手にした。ちょっとすました顔をしてキャップを取ると、マジックペンのペン先を八戸の眉毛の端に置く。それから2センチくらいの長さの線を引き、キャプションを記した。

 このげ

 オレと吉田は爆笑した。
「こ、こ、このげ」って!
「このげ」は盛岡弁であり、「眉毛」のこと。
 昭和33年生まれで盛岡出身のオレらは東京に出てくるまで、「このげ」という方言を口にしたことがなかった。親の世代もあまり使ってなかったし。
 そんな、知識としては知っていても使ったことのない盛岡弁をわざと使うのが、オレらのちょっとしたブームになっていて、「このげ」がオレと吉田の笑いのポイントを突いたのだった。
 この日の中村は冴えていた。志村けんのアイ~~ンの口をしながら今度は八戸の首にペン先を当ててそこからまた引き出し線を引いた。
 盛岡弁でも首は首じゃなかったっけ?
 中村は次の一手をどう打つのか。
 オレと吉田は笑う準備をしてペン先を見つめた。
 中村は、もったいぶって「ん゛」「あ゛」っ、とちょっと咳払いをしてからペンを動かした。
 なんて書くんだ?
 首の盛岡弁って?

 くぴた

「く、く、く、くぴた~~、ああ、おかしぃ」
 くぴたをアルファベットで書くと“KUPITA”。オレも吉田も、書いた中村も笑いころげた。


 翌朝。目を覚まし、いつものように腹減ったな、出前にするか? 外に食いに行くか? と2時間くらい布団の上でグダグダ。結局、ラーメンを食いに出かけようと話になり、みんな立ち上がった。
「ションベンするからちょっと待っててけろ」
 そう言って八戸が洗面所(洗面台と便器のみで風呂は無し)に入った。
 すぐに、
「あ~! なんだこれ~!」
 動揺丸出しの声が聞こえた。
「おめえたち、何を説明してんだ!」
 八戸以外の3人はお互いの顔を見て無言で笑った。
「このげ、ってわざわざ説明すんな」
「(んふふふふふふふふ)」
「あ! 首にもだじぇ! く……くぴた? って、なんだそれ!」
 そう叫んだのち八戸は小便を済ましてからいったん洗面所のドアを開けて「おめえたちふざげるなよ、ちょっと待ってろ」と言ってドアを閉めた。
 そして5分後、八戸はまだマジックの薄黒い跡と赤いこすり跡が盛大に残った顔と首筋で、オレたち3人を笑わせてくれたのであった。

この項つづく

初出:2010年3月21日

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