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2014年2月4日火曜日

東京ドメスティック 13

マイ共同便所

 オレのアパートには4部屋あって、そのうち3部屋は倉庫として使われている。住んでいるのはオレだけ。だから共同便所は、“共同”とはいっても、実質的にマイ便所だ。壁一枚をへだてた隣が便所であり、距離的にもマイ便所と呼んで差し支えない。自分の部屋の窓を開けて左を見ると、約90センチ先に便所の小窓がある。だから、ウチに遊びに来た友達が用を足し終えて「おーい吉田~、紙ねーぞ」ということになったら、傘のさきっぽにトイレットペーパーをぶら下げて渡したりもできるのである。


 数年前は4部屋すべてに人が住んでいた。
 控えめに言ってもみなおっさんで、酒飲みの下痢っ腹じじいばかりだった。
 部屋にいると、用を足す音が臨場感たっぷりに聞こえてくる。
 たとえば、
「ブリュッ、ブリ、ブリリッ」
 あるいは、
「う~~~~~~~~~~ブバッ!」
 はたまた、
「サラサラサラサラサラ」


 糞ったれじじいたちは3人3様の汚し方をした。
 Y中さんは、和式便器内の2、3方向に向かって勢いよく汚し、さらに便器のヘリ(おもに右側)に、ちょろっと足跡そくせきを残す。以前は便器の中だけを汚していた。便器のヘリにウンコを乗っけるようになったのは大腸ガンの手術を受けてからだ。
 Y中さんは汚れた便器をそのままにしておくので、オレが掃除する。
 Y中さんはすごく顔の怖い人で、ちょくちょくアパートの窓を開け、向かいのカラオケスナックや道行く酔っ払いに怒鳴り声を浴びせていた。そんな怖い人に「自分で掃除してください」とか、そんなこと言おうなんて気にはならない。銭湯で会ったら背中に絵が描かれていて、その絵が線画っぽかったからといって、「塗り絵ですか?」なんて聞けるはずもない。


 U田さんは、顔はやさしげだったが、やはり怒鳴る人だった。携帯電話で話しながら便所に入り、出すものを出し、電話の相手に怒鳴り、出し、また怒鳴るという感じで忙しかった。Y中さんより頻度は少なかったが、U田さんも便器の外(おもに左側)を汚す人だった。便器の左側のヘリにぺちょっと残されていた。U田さんは左利きだ。紙を持った左手を斜め後ろから尻へと回し、かたや拭かれる側もお尻のほうからお迎えに、ということで肛門が便器の左側のヘリの上まで来たところでうんちが落下し一瞬遅れて紙が肛門に、とういうことなのだろう。
 で、U田さんが汚したあともオレが掃除する。U田さんには勝てそうな気がするが、人によって態度を変えるのも面倒だし。


 A藤さんが汚すのは便器の内側だけだった。だが、音に関してはいちばんインパクトがあった。ものすごい破裂音だった。A藤さんの後に便所に入ると、散弾銃でも打ったみたいに便器内一面に飛び散っていた。破裂音の大きさに見合うだけの汚れっぷりだった。
 A藤さんが発するのは、下からの音だけじゃなかった。ちょくちょく、上の口からも強烈な音を発した。
「オロオロオロオロロ~、はあはあ、ペッ!」
 A藤さんがゲロるのは朝であり、その時間帯はオレの食事の時間でもあった。
 オロオロの音を発するA藤さんと、その音を聞きながらメシを食うオレ。
 1枚の壁をへだてた向こうとこっちで、口の使い道が正反対の2人なのでした。

初出:2010年11月4日

2014年1月7日火曜日

東京ドメスティック日常編 12

共同便所のワナ

 オレの住んでる木造モルタル2階建ては、1階が飲食店で2階がアパートの居住スペース。階段を昇って常時開けっ放しのドアから内部に入ると半畳ほどの三和土たたき(靴を脱ぐところ)があり、正面が共同便所、右が板敷きの廊下になっている。
 アパートの各部屋へは廊下を経由しなければ行けないが、便所へは三和土から直接インできて、もれそうな状態で帰宅したときなんかはとても都合がいい。ただし、この便所のドアは階段の下の通りから丸見えなので、パンツ一丁で部屋から便所に行くには、見られてもいいパンツを着用していなければならない。
 この共同便所のドアの上のほうにはすりガラスのはまった7センチ四方の小窓があり、ドアノブも、一部分が赤くなったり青くなったりするおなじみのタイプなので、ひとめで便所とわかる。素人でもわかる。
 それなのに、間違えるやつがいるのです。オレが便所で用を足しているときに間違えるやつがいるのです。


 実例その1。何をしに来たかわからない女。
 便所で用を足し終えたか終えないかというタイミングで誰かが階段を昇ってくる音が聞こえ、息をひそめてやりすごそうとしたら、
 トントン! とノックの音。
 うわ、なんだよ、ここ便所だぞ! どうしよう、でもここ便所だしな。
 ということで、しかたなく、
 ドンドン! とノックを返す。
 そうしたら、
「え?」
 と、動揺丸出しの女の声。
 そりゃ、誰かの家を訪ねてノックをしたときにノックを返されたら、一瞬ひるむよね。
 そして、
「……あ! 失礼しました」
 住人の部屋だと思ってノックした先が便所だったってことに気づいたんだろう。
 その声の主はすみやかに階段をおりて、2度とこのアパートを訪れることはなかった(たぶん)。なので、その女がセールス関係なのか何かの勧誘関係なのかは謎のままだ。


 実例その2。宅配便のおにいちゃん。
 ダッダッダと力強い足音をさせて階段を昇り、便所の前の三和土から宅配便のおにいちゃんが声を張り上げた。
「吉田さーん! ○○便でーす」
 宅配便のお兄ちゃんは、アパートの2階の、どことは特定できないものの吉田BKの部屋に向かって声をかけている。このときオレは便所にしゃがんでいて、吉田BKの部屋にはいないわけだから、知らんぷりしてもいいはずだ。でも、不在通知に書かれた番号に電話してまた届けてもらうのも面倒だなという気持ちのほうが強くて、勇気をふりしぼった。
「いま便所!」
「あ、どうも!」
 と、なんのためらいもない宅配お兄さんのレスポンス。安心したオレは、日常モードへと移行した。
「なんだったら、そこらへんに置いてってもらえる?」
「じゃあ、ほか回って、また5分後くらいに来ますよ」
「じゃあ、それでお願いします」
「わぁりあしたー!」
 便所のドア1枚をへだてていたって、いろんなコミュニケーションが可能だ。


 実例その3。つい何日か前の9月20日にやってきた非常勤の国家公務員。
 朝食後、和式の共同便所で練り歯磨き粉くらいの固さをリリースし終えたときだった。
 トントン!
 不意をつかれた。リリースに集中しすぎて、階段を昇ってくる音に気づかなかった。でも、長年の習慣というか、条件反射というか、自然にノックを返していた。
 ドンドン! と強めに返していた。
 これで相手は、自分がノックしたのが便所のドアであることを思い知ったろう。
 なのに。
「あのちょっとお伺いしたいんですけど」と、女の人の声。推定年齢40~52歳。
 うそ、なにソレ! オレは激しく動揺した。
「あの、今トイレ中なんすけど」
「あ、失礼しました」
 と、斜め上から物を言って女は黙った。黙ったまま、その場から立ち去る気配がない。
 おいおい、ウソだろ、なんでそこにいるの!
 ドア1枚をへだててしゃがむ男と立ちつくす女。その距離約80センチ。いろんな音を聞かれてしまうじゃないか。
 しようがないのでこちらから切り出した。
「なんですか?」
「あの、このアパートには何人住んでらっしゃるんですか?」
 しゃがんでる者に対する質問として、このセリフはどうなんだろう。
「ひとりです。あとの部屋は、倉庫として使われているみたいです」
 素直に答えるオレもオレだが、この女の人、何者?
「いま国勢調査のご案内で回っていまして」
 このあと何往復か言葉のキャッチボールを経たのちに、
「わかりました、実際に住んでらっしゃるのは吉田さんおひとりなんですね、はい、どうもお手数おかけしました、失礼します」
 そう言って国勢調査員は帰っていった。
 尻丸出しでしゃがんだまま、そこそこ充実した会話をかわしてしまった。なにはともあれ、顔を合わせずに済んでよかった。

 23日、郵便受けを見ると国勢調査の封筒。
「平成22年国勢調査 ~調査にご協力をお願いいたします~」
 と書かれていた。

 オレからもご協力をお願いしておきます。

初出:2010年9月26日

2013年12月4日水曜日

東京ドメスティック日常編 11

夏の職場のお姉さんの足元のヒーターは何の風物詩だよ

 繁華街を歩くといろいろな張り紙を目にする。
「よく冷えたビールあります」
 オフィス街にも張り紙がある。
「よく冷えたOLが働いています」

 それはそうと、特に高齢者の場合、冷房が苦手なのは単なる好き嫌いではないので、ついうっかり熱中症になったからといって、「冷房付けりゃいいだろ、あほか」などと責めないでほしいという話。ちがうかも。

 風呂なし便所共同のオレの6畳ひと間にもクーラーがあり、室内の温度が38度を超えたらスイッチを入れる。
 古くて能力も低い窓用クーラーなので、設定温度を30度にしても、36度までしか下がらない。
 それでも、肌を露出した腕と脚が冷たくてしょうがない。
 たった2度温度が下がっただけなのに。
 上半身は“腕がつめたいねー”で済ませられるとして、ヒザは、床近くに漂う冷気(室温は36度だけど)にさらされていると痛くなる。6月後半以降ヒザが痛くなくなって、鶏の手羽元でコンドロイチンを摂取したおかげだと喜んでいたのに。要は気温の上昇に伴って血行がよくなっただけで、手羽元は関係なかったみたい。
 そんなわけで、炎熱の室内でも長ズボン(薄手のイージーパンツ)を穿いている。それでも冷えるので腰から下にタオルケットを掛ける。もちろん靴下着用。室内の温度は36度なので、首から上は汗びっしょり。

 テレビでは、「冷えている箇所に、タオルなどでくるんだ使い捨てカイロをあてるといいでしょう」と言っている。
 そりゃ、いいでしょうね。
 でも、冷房を入れてカイロを使うのはなんか納得がいかない。となると、体質改善するしかない。体質改善して、冷房に適応できる身体を手に入れる。そうすれば、図書館とか本屋に長居できるし、新幹線だって乗れる。おしゃれなブティックには行けない。

 どうすればそんな身体になれるのか。筋肉を付けて基礎代謝が上がれば、対冷房能力もアップしそうな気がする。ただ、10何年か前、真夏に部屋で筋トレしてるうちに吐き気(※)がして、その日1日気分が悪かった経験があるので、ムリしない。筋トレは来シーズンへの宿題だな。
 これで方針は決まったと。方針さえ決まれば、あとはもうやることはない。
 で、もういいか、今回は。


※熱中症の目安
Ⅰ度:めまい、筋肉のけいれん(こむらがえり)、大量の発汗など。
Ⅱ度:吐き気、頭痛、不快感、倦怠感、高体温(40度以下)など。すぐに適切な処置をとること。
Ⅲ度:意識障害、運動障害、全身のけいれん、高体温(40度以上)など。すぐに適切な処置をとりつつ、119番へ。

初出:2010年8月19日

2013年11月19日火曜日

東京ドメスティック日常編 10

歯って大切~!――後編

 歯医者に行くしかないと腹をくくってから1か月が経過した2010年の6月なかば。親知らずのすき間から歯間ブラシを抜いて、いつものように先端部分を水できれいに洗おうとしたら、先端がなくなっていた。
 なくなった先端が、どこかにポロっと落ちていればいいのに、と願って一瞬だけそこらを探してから現実を受け入れた。歯間ブラシの先端は親知らずのすき間に置き去りにされたのだ。
 こうなったら歯医者に行くしかない。
 そう心に決めてから2週間が経過し、相変わらず出血はあるけれども、特に症状が悪化することもなく、場合によっては、親知らずのすき間に歯間ブラシの先端が入っている人として生活していくという選択もアリなのではないかという考えもちらっとかすめる。ただそれも、歯間ブラシ1本まで、という限定付きであり、2本目はない。


 7月5日。万事休す。2本目の置き去りが発生した。
 観念して、歯医者に行くことに決めた。
 ブリッジの中が虫歯になってたらヤだな、また歯を削るんかな、そうなったらブリッジは再利用できないよな、左上の親知らずは抜くことになるんだろうな、ヤだなこわいな、右上もついでに抜いたほうがいいんだろうな、などと1週間ほどくよくよした。


 7月12日、前年の2月に予約したものの結局キャンセルした歯科医に電話を入れ、症状を説明したところ、「遅い時間でもよければ、今日、診て差し上げますよ」。
 ということで、この日の夕方、さんざんぐずぐずして行くのを先延ばしにしていた歯医者の椅子でオレは口を開けていた。
 まずは、左下奥のブリッジの診察。
 ブリッジを支える歯は虫歯になってなかった。よし!
「歯をおおうのではなく、歯を削ってそこにブリッジをはめこむこういうやり方は、どうしても取れやすいんですよね」
 と言いながら、ブリッジとブリッジを支える歯を診た先生は、
「幸い、虫歯になっていませんでしたのでね、歯とブリッジをそれぞれきれいに掃除してから付け直しますね」
 歯を削ることもなく10~15分ほどで作業完了。
 さて、左上の親知らず。
「あー、ほんとですね、ありますね」
 軽く笑いながら先生は1本目を簡単に取り除いた。
 2本目(すき間に置き去りにされた順番で言うと1本目)は、取り除きにくい奥にあるようだ。
 撮影したレントゲンを見せてもらったら、ずーっと奥(上)に歯間ブラシが横向きになって入っていた。
「今、奥に水平になっているこれに対して、先ほど取り除いたものがこう垂直に入っていたわけです」
(丁字路か!)
 2本目は、麻酔をかけてから取り除いてくれた。
「歯間ブラシでの掃除はおやめになったほうがいいですね」
 オレは、歯列の外側から内側に向かって歯間ブラシを差し入れていたつもりだったが、実際は、上(歯の付け根)に向けて歯間ブラシを突っ込んでいたらしい。どうりで貫通しないはずだ。
 このあと、すべての歯の歯周ポケットの深さをチェックしてもらい、
「きれいに磨けてますね」
 と褒められた。ホメられた。ほ・められた。
 なんか終わりが近づいてる感じがしたので、親知らずは抜かなくていいんですかと尋ねた。
「ご希望なら抜いて差し上げてもかまいませんよ。ただ、生えている方向は横向きですが、きれいに磨けてますし虫歯にもなってませんのでね、あえて抜く必要はありませんね」
 てっきり抜かれるもんだと思って、おじけづいてたよ~。


 以後、歯にまつわる懸念がまったくない生活を送るオレ。
 うふふ、歯磨きの手間もずいぶん減った。
 ♪ラララ~、オレの歯♪
 ♪ルリラ~、ロレの歯♪


 そして8月2日。
 機嫌よく歯を磨くオレの口から何かがこぼれ落ちた。
 床にころがっているのは歯。
 30年前に7万円で入れた前歯の差し歯。
 はー。いっつもこうだよ。

歯って大切~!・完

初出:2010年8月4日

2013年11月5日火曜日

東京ドメスティック日常編 9

歯って大切~!――前編

 2006年夏。左下奥から2番目の歯の抜け跡にブリッジをかぶせ終えた歯医者が、オレの口の中に突っ込んだ指をグイと持ち上げて親知らずを見ながら言った。
「どうせすぐ虫歯になっちゃいますから、両方とも抜いてしまいましょう」
「えーと、もにょもにょもにょ」
 オレはお茶を濁した。右上の親知らずも左上の親知らずも、ほんのちょっと顔を出したり隠れたりという状態で、抜くとしてもまだまだ先のことだと思っていた。それに、左下奥から2番目の歯の治療をめぐって、この歯医者にはすっかり嫌気がさしていた。だから、勇気を振り絞ってお茶を濁したのだった。


 2009年2月9日。いずれは親知らずを抜くにしてもそんなに急ぐこともないよなと思っていたが、そうも言っていられなくなった。
「この近所だったらどこの歯医者さんがいい?」と、行きつけの散髪屋さんのおばちゃんに聞いたときに教えてもらった歯医者に電話してみた。
「右上の親知らずは、歯茎からちょこっと顔を出したり隠れたりという状況なんですけど、左上の親知らずが、舌ではっきり確認できるくらい、あさっての方向に向かって生え始めてるんです。この左のほうは抜かなきゃならないとして、右のほうも一緒に抜いちゃったほうがいいんですかねえ、やっぱり」
 なんというか、「どうせ親知らずは両方抜くんでしょう?」という先入観丸出しのオレに対して、歯医者が言った。
「診てみなければわかりません」
 たしかに。


 で、この歯科医に診てもらう予約は、キャンセルした。顔面神経麻痺を患って緊急入院することになり、歯の治療どころではなくなったのだった。
 顔面神経麻痺治療のための入院は2週間ちょっとで、2月末には退院した。
 退院したからといって、すぐに歯医者に予約、というわけにはいかない。顔面神経麻痺にストレスは禁物だから。
 顔面神経麻痺のリハビリのために通院が必要な3~8月の間は、歯磨きは親知らずまわりを重点的に行うけれども、それ以外のときは親知らずのことは考えないようにした。自分で自分にプレッシャーを与えないようにアホみたいな顔をして過ごした。
 左上の親知らずはあさっての方向にむかってスクスクと成長していったが、1日30分(10分×3回)もかけて丁寧に歯を磨いたおかげか、痛みやニオイが発生することはなかった。虫歯にはなってないということだ。よかった。いくらリハビリ期間中とはいえ、虫歯になったらほっとけないから。
 9月、10月、11月、12月と左上の親知らずは虫歯知らずで成長を続け、生えた方向が横向きではあったけれども、立派な親知らずになった。年が明けてもオレは丁寧な歯磨きを続け、1月も2月も、親知らず及びその隣接する歯に異常は起きなかった。


 2010年3月。歯医者の予約をキャンセルしてから1年ちょっと。左上の親知らずとその隣の歯との境目をブラッシングした瞬間、強くはないがイヤな痛みを感じた。
 その部分を中指の先で強くこすって、においを嗅いでみたところ……クサかった。がっくり。虫歯か、歯茎の炎症か。いずれにしても、歯クソのニオイではない。
 手持ちの歯間ブラシのなかで一番細い「デンタルプロ 2(SS)」を、親知らずとその隣の歯とのすき間に、まずは先っぽだけゆっくり差し入れてみた。
 強い痛みではないが、先ほどのイヤな感じの痛みが一瞬だけあった。
 次にもう少し奥まで差し込んだが、もう痛みはなかった。
 ゆっくりシャカ~、シャカ~と歯間ブラシを出し入れしたのちに抜き取ると、ブラシ部分が真っ赤。しかもクサい。
 たぶん歯周病系。だとすると歯グキのブラッシングが欠かせない。
 ということで、この日から、左上親知らずまわりの丁寧な清掃が歯磨きメニューに加わった。
 トラブルをかかえていないほかの歯と歯の間は、歯間ブラシはなんの問題もなく貫通する。加齢とともに歯茎がやせて、ややすきっ歯になっているのだ。
 一方、親知らずのすき間に入るのは、歯間ブラシの先端5ミリだけだった。もうちょっと押し込めば、歯列の裏側(内側)へと貫通するはずだ。
 6ミリ、7ミリ、8ミリと、日に日に歯間ブラシはだんだん奥まで入り込むようになっていった。
 一番奥の歯は厚みがあるとはいえ、もうそろそろ貫通してもいいころだ。なのに貫通しない。たぶん、左上の親知らずが、その隣の歯の外側に回り込むように生えているせいだ。


 4月後半のある日。歯間ブラシ先端のワイヤー部分が、完全に没した。それでも貫通しない。先端のワイヤーは12ミリ弱もあるのに。
 その状態で歯間ブラシを出し入れしながら、オレは大きな危険を冒していることに気づいた。
 歯間ブラシを奥まで押し込んだときに、もしワイヤーの根元がポキっと折れて先端部分がすき間に置き去りになったら、素人にはなすすべがないじゃないか。
 早く気づいてよかった!
 親知らずまわり以外の歯間掃除に使っている「デンタルプロ 3(S)」は、20数カ所のすき間をシャカシャカやって4日くらいは楽勝で持つが、親知らず用歯間ブラシに関しては、早め早めに交換しないといかんな。


 5月なかば。くっそ~! 左下奥のブリッジがゆるんで、カフっカフって浮いたり戻ったりする。かぶせてからまだ3年しかたってないのに。なのに、もう修繕が必要になってしまった。
※ブリッジというのは、歯を抜いた跡に人工の歯を入れる入れ歯とは違い、抜歯した跡はそのままで、その両側の歯に銀の橋を架け渡す工法。下の歯の場合、上から見ると銀歯が3本並んでいるように見えるが、横から見ると、真ん中の歯の下には何もない。
 ブリッジをかぶせるために、虫歯でもなんでもない両側の歯を削ったんだから、もっと長持ちしてほしかった。
 ゆるんでカフカフ動くブリッジをほうっておいたら、そのうち虫歯菌が内部に入り込む。虫歯菌が定着しないように掃除をしたくても、ブリッジがかぶさっているから内部まで磨けない。
 ダメだ、もう腹をくくって歯医者に行くしかない。

後編につづく

初出:2010年8月4日

2013年10月22日火曜日

東京ドメスティック日常編 8

一難去ってまた一難

2010年4月7日
 右ヒザがずっと痛い。
 ひどいときはアパートの急な階段をいたタタタ……(休み)……いたタタタ……(休み)……いたタタタと休み休みゆっくり下りなきゃならない。
 図書館で本棚の下段の本を見るときも、いったんしゃがんでしまうと立ち上がるのが大変なので、腰だけを深く曲げて覗き込まなきゃならない。
 一番面倒なのが大のあと。アパートに標準装備されているのは和式便所で、蹲踞の姿勢から立ち上がるのが辛すぎる。そこで、両手をヒザに当ててゆっくり腰を上げていく。途中で右ヒザをかばって左足荷重になってしまうがそれでも右ヒザはやっぱり痛い。
 考えてみると、ヒザが痛いのにそのヒザに手を当てて力を加えるのは理にかなってない。
 部屋の中なら、床に手をついて立ち上がる。でも、和式便所の床に手をつくのは気が進まない。
 床に準じる強度と安定感があって汚くない場所といったら……。
 !
 というわけで、右手を右足首、左手を左足首につき、それを支えに腰を上げてみた。
 お? イケる。そんなに痛くない。わーい。ちょっとへんてこりんな格好だけど、ケツを拭く姿よりはマシだ。
 これで便所での立ち上がりはラクになったし、4月に入ってからどんどんあったかくなって、階段の昇り降り時の痛みからも解放されつつある。
 一番の困りごとが解決に向かうと、次の困りごとが浮上する。やたらガスがたまって困るんだよね。
 ご飯を食べながら空気を飲み込み、コーヒーを飲みながら空気を飲み込み、ツバを飲み込むときにも空気を飲み込む。誰だって空気を飲み込むにしても、オレの場合、スムーズにゲップとして口から出せないのか、ガスがどんどんたまっていく。
 屁って、適量だと気持ちいい。けど、あまりにも量が多すぎるもんな。あーあ、ユーウツ。


2010年4月26日
 相変わらずガスがたまり放題だ。
 大腸内のガスの量が一定を超えると、ガスの塊が動くたびにゴキゴキと音が鳴る。
 このゴキゴキは、通常なら午後4時頃開始なのだが、今日は外出中だというのに昼過ぎからゴキゴキし始め、腹が張ってしようがなくなった。
 東京の私鉄の各駅停車しか止まらない駅の街の昼下がりは人影まばらで、屁をするのにそれほど困難はない。
 オレは歩きながら半径10メートル以内に人がいないことを確認してからフンッ! と力を込めた。だが、すんなりとは出てくれない。
 しばらくして、半径20メートル以内にひと気のないことを確認し、さっきより強い力を込めて再チャレンジしたが、これも空振り。
 出口近くのセンサーは、危険がない(汁けがない)ことを告げている。パワー全開で気張っても悲しいことにはならないはず。でもやめた。どんだけの音量を伴う屁なのか、見当もつかなかったからだ。
 ということで腹をゴキゴキ鳴らしながら方南町のブックオフで100円本のコーナーを物色した後、大原交差点経由で笹塚の古本屋までゴキゴキ寄り道してから代田橋に帰った。
 アパートに戻ったオレは誰に気兼ねすることなく、ゆっくりと確実に腹に力を込めていった。


 ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううううう、




 ブンっ!


 出た。
 音量は申し分なし。汁け気もなし。
 音質は、乾いていて、それでいてふくらみがあり、耳に心地いい。楽器でたとえるなら、リード付きの木管楽器ではなく、金管楽器の音(ここのところ痔の調子がよくて、「もはや痔ではない」と言いたいくらいなんだよね)。豊かな音のふくらみや、無段階に音程を変化させられるところなんかを考慮するなら、金管楽器のなかでも「神の楽器」と呼ばれるトロンボーンの音と言っていいだろう。
 しかし、なんとかなんねーかな、屁。

初出:2010年4月7日/2010年4月27日

2013年10月8日火曜日

東京ドメスティック日常編 7

落書きで書いていい3文字と書いちゃいけない3文字――後編

 眉毛と首の落書きで盛り上がった呑み会の1週間後、4人はもちろん中村のアパートに集合した。
「おめぇたち、ほんとめてけろ!」が八戸の第一声だった。「腹にまで書くことねがべ! 銭湯に行って、シャツ脱いだらよー、“へっちょ※”って!」
「うふふふははは」
 怒る八戸と、思い出し笑いの3人。そういえば、「このげ」と「くぴた」だけでなく、八戸のシャツをめくって腹にも落書きをしたんだった。

※「へそ」を意味する「へっちょ」は盛岡弁ではない(はずだ)が、「アップダウンクイズ」というクイズ番組がきっかけで、ちょっとした「へっちょブーム」になっていた。

「笑ってる場合じゃねーぞ」
「うふふふんははは」
「あー! って思って腹隠してよ、ゴスガスこすっても、なかなか落ちなくてよ!」
「うひひひひ」
 正当な怒りではあったが、これ以後も八戸は毎度毎度、酒を呑んでは無防備な姿を見せるものだから、落書きは止められなかった。
 朝起きると八戸はルーティーンワークをこなすように顔の落書きを消し、シャツを脱いで腹や胸の落書きを消した。

 初めての落書きから数か月が経過して八戸も落書きされることにすっかり慣れ、「油性はダメだ、水性にしろよ」とたまにボヤく程度になったころ。
「おめえたち、ほんといい加減にしろよ、顔から火ぃ出たぞ!」
 会うなり八戸が怒りだした。
 3人は何のことかわからない。
「何怒ってんだ?」
「背中!」
「は?」
「せ・な・が!」
「だから背中が何よ」」
「おめえら、背中にマ○コって書いたべ!」
「ん?」
「銭湯さ入って、なんかみんなオレのこと変な顔して見てるなあって思って……」
「あー! アハハハハ」
「アハハじゃねえぞ! なんぼなんでも背中にまで書くことねがべ!」
 かなり怒っていた八戸だったが、呑み始めて1時間もするとやはりいつものように寝てしまった。

 翌朝。
 いつもは顔の落書きからチェックする八戸は、この日はまずシャツを脱いで手鏡を後ろに回し、背中の落書きから探し始めた。肩のあたりから始まって腰のあたりまで、時間をかけてしっかりチャックしている。
「背中には書いてねえって」
 ちょっと鼻で笑いながら中村が言った。
「信用しろってか?」
 そう言って八戸は、脇の下、腕の後ろ側も鏡に映してしっかり見る。
 背中側のチェックを終えた八戸は、今度は鏡を体の前で構えた。
 中村が不思議なものを見るような顔をした。
 八戸はというと、やりにくそうに鏡の角度を調節しながら胸と腹を映して落書きのチェックをしている。
「おう、八戸、背中を鏡で見るのはわかるけど、なんで腹を鏡さ映して見てるんだ?」
「ん? ……ああああ! 前は、鏡はいらねえか。どおりで見にくいと思った」
 3人、大爆笑。
 落書き熱はこの頃をピークにみるみるさめていった。
 ブームが去ったあとは、たまに、ワンポイント的に小さな落書きを書く程度だった。
 八戸は、習慣として朝の落書きチェックを続けていた。

 夏休みに入ってすぐの週末。いつもより入念な落書きチェックを終えた八戸は、自分のアパートには戻らずに、そのまま帰省した。
 そして夏休みが終わり、久しぶりに中村のアパートに集合した。
 八戸はバイトの都合でちょっと遅れるらしい。オレと吉田、中村の3人で呑み始めた。
中村「あいつ、なんか怒ってたっけぞ」
オレ「なんで?」
中村「落書きがオヤジに見られて、なんだらかんだらって言ってたっけ」
吉田「落書き?」
中村「なんだか、よくわからねえけど」

 30分後。八戸が合流した。
八戸「おめえたち、ほんとシャレになんねーぞ!」
中村「何がよ?」
八戸「何がよ、っじゃねーって。落書きしたべ!」
吉田「いっつもだべ」
八戸「オヤジによ、『お前そんなところに何書いてるんだ!』って言われて、何のことだかわからなくて……」
3人「んで?」
八戸「マ○コって書いたべ! オヤジにそれ見られたんだぞ」
中村「あの堅いオヤジ? 組合の委員長の?」
八戸「委員長じゃねえ、副委員長だ!」
オレ「んふ」
吉田「おめえ、田舎さ帰る前に、落書きされてねえか、ちゃんと見てたっけよな」
八戸「んだけどよ!」
中村「書いたっけかな」
八戸「書かれてた!」
中村「んだば、なんでおめえは気がつかねかったんだ? オヤジにはすぐわかったのに」
オレ「んだよな」
 八戸は、ムッとした顔で一瞬黙ってから口を開いた。
八戸「足の裏!」
3人「ん?」
八戸「足の裏さマ○コ!」
3人「ああ!」
 思い出した3人、大爆笑。
 足の裏って、書いたほうも忘れるくらいの意外な盲点。
 呑んだ次の日にそのまま帰省したのが敗因だ。銭湯に行っていれば落書きを見つけられたのに。あ~あ、おかし。

初出:2010年4月20日

2013年10月1日火曜日

東京ドメスティック日常編 6

落書きで書いていい3文字と書いちゃいけない3文字――前編

 オレ吉田BK(以下:オレ)ともうひとりの吉田(以下:吉田)、中村、八戸(仮名)という盛岡出身の4人組は20代のころ、週末になると集まって呑んでいた。
 たまに居酒屋に出かけることもあったが、10回に9回は狛江在住の中村のアパートで呑み、みんな泊まった。

八戸「えーと、あのよー」
みんな「何?」
八戸「……」
みんな「だから何?」
八戸「……」
中村「なんだおめえ、黙るな!」
八戸「ああ、わるいわるい、あの、きのうの前の日に……」
みんな「はあ? きのうの前の日?」
吉田「きのうの前の日って、“おととい”だべ?」
八戸「ああ! んだ!」
みんな「うふふふんははは」
八戸「“おととい”って単語が出て来なくて、“一昨日(いっさくじつ)”って言葉が浮かんだんだども、それじゃあんまり堅苦しいかなと思ってさ」

 八戸は、狙って笑いをとることもできる一方で、笑われる能力にも非凡なものがあった。

 酒を呑み始めて1時間ほどすると八戸はいつも決まって睡魔に襲われる。
 まぶたが閉じそうになり、いけねって感じで目ん玉をグリンっと1回転させてから復活するので、その場にいる者には八戸が一瞬眠ったことがわかる。
 この"目ん玉グリン~復活"を4、5回繰り返したあたりで八戸は睡魔への抵抗をやめる。
 そして座ったまま、目をつぶり、口呼吸を始める。
 そうすると中村が、八戸の体を揺すりながらでかい声を出す。
「寝るな!」
 八戸はすぐに正気に戻る。
八戸「いやいやいや、寝てねーぞ」
中村「おめえ、今、目つぶってたべ」
八戸「ちょーっと考え事してただけだじぇ」

 こんなことを何回か繰り返してそのうち飽き、しばらく八戸を放っとく。と、八戸はやすらかな眠りに包まれ、オレらに無防備な姿をさらす。
 何の警戒心も抱かずに無防備な姿をさらすことのできる時代は、いつか終わる。
 あるとき、中村が、細いマジックペンを手にした。ちょっとすました顔をしてキャップを取ると、マジックペンのペン先を八戸の眉毛の端に置く。それから2センチくらいの長さの線を引き、キャプションを記した。

 このげ

 オレと吉田は爆笑した。
「こ、こ、このげ」って!
「このげ」は盛岡弁であり、「眉毛」のこと。
 昭和33年生まれで盛岡出身のオレらは東京に出てくるまで、「このげ」という方言を口にしたことがなかった。親の世代もあまり使ってなかったし。
 そんな、知識としては知っていても使ったことのない盛岡弁をわざと使うのが、オレらのちょっとしたブームになっていて、「このげ」がオレと吉田の笑いのポイントを突いたのだった。
 この日の中村は冴えていた。志村けんのアイ~~ンの口をしながら今度は八戸の首にペン先を当ててそこからまた引き出し線を引いた。
 盛岡弁でも首は首じゃなかったっけ?
 中村は次の一手をどう打つのか。
 オレと吉田は笑う準備をしてペン先を見つめた。
 中村は、もったいぶって「ん゛」「あ゛」っ、とちょっと咳払いをしてからペンを動かした。
 なんて書くんだ?
 首の盛岡弁って?

 くぴた

「く、く、く、くぴた~~、ああ、おかしぃ」
 くぴたをアルファベットで書くと“KUPITA”。オレも吉田も、書いた中村も笑いころげた。


 翌朝。目を覚まし、いつものように腹減ったな、出前にするか? 外に食いに行くか? と2時間くらい布団の上でグダグダ。結局、ラーメンを食いに出かけようと話になり、みんな立ち上がった。
「ションベンするからちょっと待っててけろ」
 そう言って八戸が洗面所(洗面台と便器のみで風呂は無し)に入った。
 すぐに、
「あ~! なんだこれ~!」
 動揺丸出しの声が聞こえた。
「おめえたち、何を説明してんだ!」
 八戸以外の3人はお互いの顔を見て無言で笑った。
「このげ、ってわざわざ説明すんな」
「(んふふふふふふふふ)」
「あ! 首にもだじぇ! く……くぴた? って、なんだそれ!」
 そう叫んだのち八戸は小便を済ましてからいったん洗面所のドアを開けて「おめえたちふざげるなよ、ちょっと待ってろ」と言ってドアを閉めた。
 そして5分後、八戸はまだマジックの薄黒い跡と赤いこすり跡が盛大に残った顔と首筋で、オレたち3人を笑わせてくれたのであった。

この項つづく

初出:2010年3月21日

2013年9月17日火曜日

東京ドメスティック日常編 5

下宿の食 その2 好き嫌いもクソもない

 おかずに魚が出たのは、ある意味事件だった。
 8月の終わりころ、佐賀出身の桜井がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「明日の朝めし、魚出る」
「うそ、なんで?」
 肉の切れはしだって1週間に1回だけなのに、魚が出るわけない。
「へへ、田舎の親に、アジの干物持たされた。大家にお土産って。あんな因業バアサンに何もやらんでいいて言ったけど、無理やり持たされた」
「あ、そう。ハハ、やった。焼き魚食える」
「重かったよ。50尾近くあるとちがうかな」
「じゃ、2回は食えるじゃん」(※下宿生は約20人なので)
「うん」

 次の日の朝食。アジの開きだった。おかずの皿の上にはアジだけで付け合わせも何もなかったけど、佐賀のアジはふっくらしてうまかった。
 下宿生の多くがアジを好意的に迎えるなか、朝食後、秋田出身の佐々木はヘコんでいた。
「俺、魚ダメなんだあ」
「少しは食った?」
「んーう、手もつけなかったよ」
「じゃ、メシはなんで食ったの?」
「しょうゆ汁だけで……」
「なんか佐々木に悪いことしたな」と言いつつ桜井は大笑い。「バアサンに50尾くらいやったから、また出るんとちがうかな」と言ってまた大笑い。
「えー、晩ご飯もまた、アジなのかな」
 可哀そうな佐々木。ぐふふ。
 でも、夕食のおかずにアジは出なかった。
 次の日もアジは出なかった。
 佐々木は喜んでいたが、「バアサンがどっかに横流ししたに決まっとる」と言って桜井は怒っていた。

 そのアジが、1週間後の朝食に出た。
「あのバアサン、何を考えているんやら」
 朝食のトレーを持った桜井がオレの部屋に入ってきた。
「どうした?」
「これ、アジ」
「え? 1週間前の?」
「うん」
「食える?」
 桜井は首を横に振って、「あのバアサン、ちっ」。
 アジの開きは明らかに悪くなっていた。くさかった。
 かくして下宿生たちはご飯としょうゆ汁だけのわびしい朝食を食べたのでした。
 ひとりを除いては……。

 ……佐々木。
 ぐふふ。アジ食ってやがんの。腐ったアジ。で、腹をこわしてた。
「この前はご飯としょうゆ汁だけ食べて、あとですんごく腹へったから、今度は無理して食べたんだけど、腐ってたのかぁ……」
「変なニオイしなかった?」
「俺ふだん魚食わないから、こんなニオイが普通なのかと思って」
 腐ったニオイと腐った味に危険を感じなかった佐々木の嗅覚と味覚って、なんか、好き嫌いもクソもないな。

初出:2010年1月25日

2013年9月10日火曜日

東京ドメスティック日常編 4

下宿の食 その1 手作り料理よりインスタント

 1976年、18歳のオレが住んでいたのは2階建ての下宿の3畳間で、朝夕の2食が付いていた。部屋に水道はなく、1階の一番奥の配膳室に水道と流しがあった。朝夕の決まった時間になると下宿生約20人分の食事が並ぶので、各自自分の食事を部屋に運び、食い終わったら食器を配膳室に戻しておくというシステムだった。
 朝食も夕食も基本的に丼のご飯一杯と、しょうゆ汁ひと椀、おかず1品というラインナップ。
 おかずの内容は野菜炒めや野菜の煮物、野菜のてんぷらなど野菜が中心。1週間に1回だけ、コンビーフの炒め物とか、ちょろっと肉が入った野菜炒め、近所の肉屋で特売しているメンチカツが出た。魚のおかずは、オレがこの下宿で暮らした10か月間で2回だけだった。
 しょうゆ汁の具は、お麩が中心。たまに具だくさんの日もあったが、うれしくはなかった。具が、前日に下宿生が残したおかずだったから。20人分のしょうゆ汁に入れられるだけの具を確保できるということは、20人の下宿生のうち少なくとも3、4人以上は、食えずに配膳室に戻していたはずだ。ただでさえ不人気のおかずが再利用される。一粒で二度おいしいというフレーズがあるが、この場合は、一品で二度まずいということになる。
 具だくさんのしょうゆ汁に入っていたのは、たとえばインゲンのてんぷら。"しょうゆ汁にてんぷら!?"と衝撃を受けながらも、食えなくはなかった。
 でも、コンビーフのてんぷらが入ったしょうゆ汁とか、小さくカットした特売メンチカツが入ったしょうゆ汁とかは、どうしても好きになれなかった。

 こんな下宿の飯だけでは、栄養価はもちろんカロリーもまったく足りない。かといってたびたび外食するほどの金もない。そんな下宿生のお腹と心を満たしてくれるのがインスタントラーメン。
 カップラーメンもすでに普及していたが、下宿生には高かった。100円くらいした。駅の立ち食いそばでも100円の時代だ。京王線の電車の初乗り料金は忘れたが、券売機で5円玉が使えた時代だ。カップラーメンに100円は出せない。インスタントラーメンはといえば、近所の小さい食料品店で、サッポロ一番みそラーメンが30円で買えた。ほかの商品は定価なのに、なぜかサッポロ一番のみそだけはスーパーより安かった。
 問題は、部屋にも配膳室にもガスコンロのない下宿でいかにお湯を調達するか。
 カセットコンロの存在は知らなかったし、知っていても下宿生が気軽に買えるような値段じゃなかったろう。だが、金のない学生をターゲットにした商品が存在していた。用途を湯沸かしだけに特化したポットタイプの電熱器がその代表だ。アルマイト製の縦長ポットの下部に、たぶんニクロム線かなんかが仕込まれているだけの簡単な作りで、値段は数百円。ヤカンより安かった。
 この電熱ポットを使ってサッポロ一番みそラーメンを作る。

手順
1 電熱ポットに入れられるだけの水を入れる。
2 プラグをコンセントに差し込む(この時代の電熱ポットにスイッチはない)。
3 サッポロ一番みその麺を袋から出し、丼にセット。
4 お湯が沸いたら半量を丼の麺に注ぐ。
5 丼に週刊プレイボーイでフタをして、3分たったら、適当な容器にお湯を捨てる。
6 ふやけた麺の上に粉末スープをふりかけ、残ったお湯を注ぐ。
7 週刊プレイボーイでフタをし3分たったら出来上がり。

 電熱ポットのニクロム線だかなんだかはヤワですぐ切れてしまうので、1~2カ月に1個のペースで買い替えなきゃならなかった。ぜんぜん地球に優しくない。金属からなんらかの物質がお湯に溶けだしていそうで、たぶん人体にも優しくなかったはずだ。

初出:2010年1月25日

2013年9月3日火曜日

東京ドメスティック日常編 3

おまわりさんとタモリ倶楽部

 羽村取水堰で多摩川から取水された流れを源流とする玉川上水は、杉並の富士見ヶ丘運動場近くから地下の土管を流れる暗渠となる。京王線代田橋駅あたりでちょっとだけ顔を出してからまた地下へ。その地上部分が、桜の季節にだけ人でにぎわう玉川緑道(世田谷区大原2丁目26から大原1丁目43)だ。玉川緑道の東端で世田谷区から渋谷区へと入り、細い車道を横切ると玉川上水は再び開渠となり、巨大な土管からちょろちょろと流れ出る水が見える。
 ここから200メートルほどの区間は、玉川上水の両側に幅1メートルほどの細い道が付いていて、道と水面との落差が2~4メートルほどあり土手もほぼ垂直なので、歩行者が落っこちないように金網フェンスでガードされている。


 10年くらい前のこと。
 玉川緑道の東端の細い車道にパトカーが2台停まっていて、若いおまわりさんが3~4人うろうろしていた。何やってんだろう、と思いながら、その車道を横断し、玉川上水脇の細い道に入って10メートルほど歩いてから後ろを振り返った。いつもならこの位置からは、車道に設置された金網フェンスと、その下に大きな土管の口が見える。でも……。
 金網フェンスの上端の、水平であるはずのポールがV字状に折れ曲がっていた。V字の下に目をやると、土管の前に初老の男の人。顔が赤黒い。チアノーゼっていうんだっけ。噂で聞くのと違って、口も目も閉じていた。どこの穴からも体液らしきものは流れ出していなかった。
 いつまでそこにぶら下げたままにしとくつもりだよと心の中でおまわりさんに突っ込んだ。基本的にオレはそんなには動揺していなくて、でも、この事態を心の中でどう処理すればいいのか、「悲劇」「不幸」「死の尊厳」とか体裁のいいキーワードがふわふわと頭をよぎるんだけど、落ち着きどころが見つからない。
 それにしても、さっさと片付けたほうがいいよと考えつつ、また前を向いて歩き出したら、細い道の向こうから、やせた小さいおばあさんがやや下を見ながら歩いてきた。
 あんなもんを見たら、おばあさんがショックを受ける! おまわりさん、玉川上水脇の細い道を早く封鎖しないと。


 話は変わる。
 つい1年かそこら前のある日。笹塚のスーパーで買い物をして代田橋へと帰る途中、、この玉川上水の脇の細い道に、ジャンピング・ジャックがぶら下がっていたのとは反対側から入ろうとした。すると、30歳くらいのそうとうダサい部類に入る髪形と服装の男がオレに向かって話しかけてきた。
「えーと、すみません、今、タモリ倶楽部の撮影をしておりまして、この細い道をすぐ、撮影隊が大勢やってきますので、ちょこっと回り道していただけますか」
 ダッサくてショボい見た目なのに、言い方も普通なのに、強い。ジャンピング・ジャックのときのおまわりさんとは、場数がぜんぜん違うんだろう。オレは素直に従った。左の玉川上水沿いの道を行っても右の車道でも30秒も違わない。車道を歩き出し、180メートル先の信号で左に曲がると、60メートル先で玉川上水と合流する。
 タモリ倶楽部の撮影隊は、まだそこにいた。オレはタモリさんから3メートルほど離れたところを通り過ぎて、玉川緑道に入った。タモリさんは車道の端に立ち、ジャンピング・ジャックがぶら下がっていた金網フェンス(新しいものに交換済みだけど)に手をかけて、玉川上水を見下ろしていた。何日かあとに「タモリ倶楽部」を見たら、「あのコンクリが水門の跡なんですか」とか、そのちょっと先の道で「タコの吸い出しってあるけど……え! 今でもまだ作ってるんですか」とか言っていた。


 話は戻る。
 ジャンピング・ジャックを目撃したのちに、オレがまた細い道を歩き出したとき、反対側からやせた小さいおばあさんがやって来たんだった。
 オレは考えた。おばあさんのところまで小走りで近づいて、別の道にそれるように助言すべきじゃないのか。でも、オレにそんなことできるか。そんな葛藤をしてる間に、おばあさんは顔を上げた。
 それを目撃したに違いないおばあさんは立ち止まった。鼻の上のほうにシワを寄せ、口を開いた。
「気持ち悪っ!」
 そ、そういうストレートな感情を持ってもいいんだ……。
 オレって、心の中でもいろいろといい人のふりをこいてるよなあと思い知らされた出来事なのでした。

初出:2009年12月19日

2013年8月27日火曜日

東京ドメスティック日常編 2

大型ゴキブリは外からやって来る

 オレの学生時代(1970年代後半)、ゴキブリ対策といえば粘着シートのゴキブリホイホイが主流だった。夏休みに1カ月ほど帰省したのちに東京に戻ってくると、大小とりまぜて50匹くらいのゴキブリが粘着シートに引っ付いていた。あんまり数が多いから、ちょっと感動した。大型のゴキブリはその状態でも生きていて、触覚をヒコヒコ動かしていた。
 50匹のゴキブリを収容したゴキブリホイホイにはもう足の踏み場はない。捨てるしかないけど、なんか面倒くさくてそのまま部屋に置いておいた。で、酔っ払って帰宅してはゴキブリ満載の粘着シートを踏んづけ、次の朝にはゴキブリホイホイを元通り成型するってことを何度も繰り返していた。捨てちゃえばいいのに。ほかのゴミはきちんと捨てているのに。ゴミ集積所は、アパート(松原荘)の玄関を開け2歩あるいて木戸を開けたら2メートル右の電柱のところだから、パンツ一丁だってゴミ出しできたのに。

 今現在住んでいるところ(京王線代田橋駅から徒歩1分の6畳ひと間)も、ごく近くにゴミ集積所がある。ごく近くというか、アパートの敷地の一角がゴミ集積所になっている。オレが住んでる201号室は道路の反対側にあるが、道路に面した203号室だったら、窓からゴミ袋を放り投げればいい。
 オレはなぜか、ゴミ集積所にだけは恵まれている。ただそのゴミ集積所には、まだまだ寒い3月くらいからデカい黒ゴキブリがチラホラ出没し始め、夏の盛りともなると通りかかるたびに黒光りした姿を見かけるほどになるのである。

 そんなわけで、部屋に住みついた中・小型のゴキブリは駆除できても、夏になるとデカい黒ゴキブリがときどきオレの部屋にやって来るんだよね。
 侵入経路は、全開にした窓か、上下に7、8ミリほど隙間のあるドア。
 全開にした窓の1.5メートルほど先には大家さんちの壁があり、よくそこに黒ゴキブリがへばりついている。この場合、輪ゴムを指に引っ掛けて飛ばし、追っ払う。窓から体を乗り出し、できるだけゴキブリに近づいて狙うので、命中とはいかないまでもけっこう近くに着弾する。危険を感じたゴキブリが50センチほど移動したら、また同じ攻撃を繰り返す。輪ゴムがもったいないので、最終的には傘で突っついて追っ払う。
 なんか気配を感じて目をやったら窓の下枠に乗っかったゴキブリが触覚を動かしていたこともあった。このときはバタバタ大騒ぎしてなんとか外へ追っ払った。
 夏の間、豪雨のとき以外は窓を開けっ放しにしているので、オレが気づかないうちにゴキブリは入り込んで、オレに知られることなく部屋から出て行ってるんだろう。


 ゴキブリはドアの下の隙間からも侵入してくる。
 夜遅く、そろそろ寝ようかと明かりを消して布団に横になる。
 と、ドアのあたりになんか気配。
 7、8ミリほど開いたドアの下の隙間を見ると、廊下の明かりをバックに恐怖のシルエット。
 うわっ、ゴキブリだ!
 黒い侵入者は、部屋の中の様子をうかがうように触覚をうごめかす。
 対応をあやまると、部屋への侵入を許すことになる。
 布団に寝たまま新聞紙をドアに投げつける、というのが最も簡単な対応だが、ドアに衝撃を与えた瞬間にゴキブリが暗い部屋の中に逃げ込む確率が高い。
 そこでオレは起き上がって部屋の明かりを点け、新聞紙を棒状に丸めてドアに近づく。
 体勢は、いざというときにすぐに動けるように中腰。
 ヤツがいたあたりを狙って、新聞紙をバシっと叩きつけるつもりだ。
 ヤツはドアの下の隙間にいるので、直接叩くことはできないが、新聞紙によって部屋への進入経路はふさがれることになるのだから、必然的にヤツは廊下側へと逃げ出すはずだ。
 もしヤツがドアの下で、左右どちらかに移動していたら……。
 だとしても、超ローアングルのゴキブリ目線でドアの下の隙間を覗き込む勇気なんてない。
 きっとヤツはまだそこにいる。
 オレは新聞紙で叩いた。
 バシッ!
 うわっ!
 …もう、がっかり。

初出:2009年7月12日

2013年8月20日火曜日

東京ドメスティック日常編 1

まえがき

 貧しいながらも楽しい東京ひとり暮らし時代に書いたものです。



満足度100点のゴキブリ駆除剤って…

 オレのアパートだけなのかどうかわからないけれど、1990年代に突入したあたりから、部屋に住み着くゴキブリが数ミリからせいぜい2センチ程度の中・小型ばかりになった。
 部屋の中でデカいゴキブリを見る頻度が減っていった当時は、「小型のゴキブリのほうが実はヤバい。だって、寝ている人の耳の穴に入り込んで卵を産み付け……」というまことしやかな噂話もあって、ちょっとビビったりもした。でも、実際に目の前でデカい黒ゴキブリにカササササササと動き回られるよりまし。朝、目を覚ましとりあえずジュースでも買いに行こうと思って足を通したジーパンからデカい黒ゴキブリが飛び出してくることもなくなったし。

 それから数年後、小型のゴキブリだっていないにこしたことはないということで、ゴキブリ駆除剤を使い始めた。まずはホウ酸ダンゴ系、次の年はヒドラメチルドン配合のコンバット、さらに次の年にはまた別のホウ酸ダンゴ系を試した。どれもけっこう効果はあったのだろうが、満足できなかった。100匹のゴキブリが10匹に減ったら、その駆除剤は優秀といっていいんだろうけど、こっちはゴキブリゼロを期待してるわけだから。
 そうはいっても、100匹のゴキブリより10匹のゴキブリのほうが断然マシなので、毎年、買いに行った日に安売りしているゴキブリ駆除剤を使ってきた。
 ある年ドラッグストアで、「ゴキブリの薬ってどれを使っても、あまり効果ないけど」って言ってみた。特に役に立つ情報がもらえると思ったわけでなく、世間話のつもりで。そしたら、「ひとつの駆除剤が、すべての種類のゴキブリに効果があるというわけではなくて……」だって!

 可処分所得の極端に低いオレだが、ヤケクソになってゴキブリ駆除剤3種を一気に購入してやった。エサを食べたゴキブリが巣に戻って巣のゴキブリまで殺す系2種(ヒドラメチルドンの「コンバット」とフィブロニルの「ブラックキャップ」)と、ホウ酸ダンゴ系1種(どれでも効果は変わりないと思うけどオレの場合は「アースゴキブリホウ酸ダンゴ」)の計3種。2000円近く使った。家計簿をつけるとしたら、この2000円の費目は「贅沢品」になるだろう。
 6畳ひと間のそこらじゅうに3種のゴキブリ駆除剤を設置した結果、満足度は100点! 流しの下の扉を開けたとたん黒い影がササッと動くこともなければ、朝起きて、布団の上でオレに押しつぶされたゴキブリの遺骸を見ることもなくなった。

初出:2009年7月12日