共同便所のワナ
オレの住んでる木造モルタル2階建ては、1階が飲食店で2階がアパートの居住スペース。階段を昇って常時開けっ放しのドアから内部に入ると半畳ほどの三和土(靴を脱ぐところ)があり、正面が共同便所、右が板敷きの廊下になっている。
アパートの各部屋へは廊下を経由しなければ行けないが、便所へは三和土から直接インできて、もれそうな状態で帰宅したときなんかはとても都合がいい。ただし、この便所のドアは階段の下の通りから丸見えなので、パンツ一丁で部屋から便所に行くには、見られてもいいパンツを着用していなければならない。
この共同便所のドアの上のほうにはすりガラスのはまった7センチ四方の小窓があり、ドアノブも、一部分が赤くなったり青くなったりするおなじみのタイプなので、ひとめで便所とわかる。素人でもわかる。
それなのに、間違えるやつがいるのです。オレが便所で用を足しているときに間違えるやつがいるのです。
実例その1。何をしに来たかわからない女。
便所で用を足し終えたか終えないかというタイミングで誰かが階段を昇ってくる音が聞こえ、息をひそめてやりすごそうとしたら、
トントン! とノックの音。
うわ、なんだよ、ここ便所だぞ! どうしよう、でもここ便所だしな。
ということで、しかたなく、
ドンドン! とノックを返す。
そうしたら、
「え?」
と、動揺丸出しの女の声。
そりゃ、誰かの家を訪ねてノックをしたときにノックを返されたら、一瞬ひるむよね。
そして、
「……あ! 失礼しました」
住人の部屋だと思ってノックした先が便所だったってことに気づいたんだろう。
その声の主はすみやかに階段をおりて、2度とこのアパートを訪れることはなかった(たぶん)。なので、その女がセールス関係なのか何かの勧誘関係なのかは謎のままだ。
実例その2。宅配便のおにいちゃん。
ダッダッダと力強い足音をさせて階段を昇り、便所の前の三和土から宅配便のおにいちゃんが声を張り上げた。
「吉田さーん! ○○便でーす」
宅配便のお兄ちゃんは、アパートの2階の、どことは特定できないものの吉田BKの部屋に向かって声をかけている。このときオレは便所にしゃがんでいて、吉田BKの部屋にはいないわけだから、知らんぷりしてもいいはずだ。でも、不在通知に書かれた番号に電話してまた届けてもらうのも面倒だなという気持ちのほうが強くて、勇気をふりしぼった。
「いま便所!」
「あ、どうも!」
と、なんのためらいもない宅配お兄さんのレスポンス。安心したオレは、日常モードへと移行した。
「なんだったら、そこらへんに置いてってもらえる?」
「じゃあ、ほか回って、また5分後くらいに来ますよ」
「じゃあ、それでお願いします」
「わぁりあしたー!」
便所のドア1枚をへだてていたって、いろんなコミュニケーションが可能だ。
実例その3。つい何日か前の9月20日にやってきた非常勤の国家公務員。
朝食後、和式の共同便所で練り歯磨き粉くらいの固さをリリースし終えたときだった。
トントン!
不意をつかれた。リリースに集中しすぎて、階段を昇ってくる音に気づかなかった。でも、長年の習慣というか、条件反射というか、自然にノックを返していた。
ドンドン! と強めに返していた。
これで相手は、自分がノックしたのが便所のドアであることを思い知ったろう。
なのに。
「あのちょっとお伺いしたいんですけど」と、女の人の声。推定年齢40~52歳。
うそ、なにソレ! オレは激しく動揺した。
「あの、今トイレ中なんすけど」
「あ、失礼しました」
と、斜め上から物を言って女は黙った。黙ったまま、その場から立ち去る気配がない。
おいおい、ウソだろ、なんでそこにいるの!
ドア1枚をへだててしゃがむ男と立ちつくす女。その距離約80センチ。いろんな音を聞かれてしまうじゃないか。
しようがないのでこちらから切り出した。
「なんですか?」
「あの、このアパートには何人住んでらっしゃるんですか?」
しゃがんでる者に対する質問として、このセリフはどうなんだろう。
「ひとりです。あとの部屋は、倉庫として使われているみたいです」
素直に答えるオレもオレだが、この女の人、何者?
「いま国勢調査のご案内で回っていまして」
このあと何往復か言葉のキャッチボールを経たのちに、
「わかりました、実際に住んでらっしゃるのは吉田さんおひとりなんですね、はい、どうもお手数おかけしました、失礼します」
そう言って国勢調査員は帰っていった。
尻丸出しでしゃがんだまま、そこそこ充実した会話をかわしてしまった。なにはともあれ、顔を合わせずに済んでよかった。
23日、郵便受けを見ると国勢調査の封筒。
「平成22年国勢調査 ~調査にご協力をお願いいたします~」
と書かれていた。
オレからもご協力をお願いしておきます。
初出:2010年9月26日
オレの住んでる木造モルタル2階建ては、1階が飲食店で2階がアパートの居住スペース。階段を昇って常時開けっ放しのドアから内部に入ると半畳ほどの三和土(靴を脱ぐところ)があり、正面が共同便所、右が板敷きの廊下になっている。
アパートの各部屋へは廊下を経由しなければ行けないが、便所へは三和土から直接インできて、もれそうな状態で帰宅したときなんかはとても都合がいい。ただし、この便所のドアは階段の下の通りから丸見えなので、パンツ一丁で部屋から便所に行くには、見られてもいいパンツを着用していなければならない。
この共同便所のドアの上のほうにはすりガラスのはまった7センチ四方の小窓があり、ドアノブも、一部分が赤くなったり青くなったりするおなじみのタイプなので、ひとめで便所とわかる。素人でもわかる。
それなのに、間違えるやつがいるのです。オレが便所で用を足しているときに間違えるやつがいるのです。
実例その1。何をしに来たかわからない女。
便所で用を足し終えたか終えないかというタイミングで誰かが階段を昇ってくる音が聞こえ、息をひそめてやりすごそうとしたら、
トントン! とノックの音。
うわ、なんだよ、ここ便所だぞ! どうしよう、でもここ便所だしな。
ということで、しかたなく、
ドンドン! とノックを返す。
そうしたら、
「え?」
と、動揺丸出しの女の声。
そりゃ、誰かの家を訪ねてノックをしたときにノックを返されたら、一瞬ひるむよね。
そして、
「……あ! 失礼しました」
住人の部屋だと思ってノックした先が便所だったってことに気づいたんだろう。
その声の主はすみやかに階段をおりて、2度とこのアパートを訪れることはなかった(たぶん)。なので、その女がセールス関係なのか何かの勧誘関係なのかは謎のままだ。
実例その2。宅配便のおにいちゃん。
ダッダッダと力強い足音をさせて階段を昇り、便所の前の三和土から宅配便のおにいちゃんが声を張り上げた。
「吉田さーん! ○○便でーす」
宅配便のお兄ちゃんは、アパートの2階の、どことは特定できないものの吉田BKの部屋に向かって声をかけている。このときオレは便所にしゃがんでいて、吉田BKの部屋にはいないわけだから、知らんぷりしてもいいはずだ。でも、不在通知に書かれた番号に電話してまた届けてもらうのも面倒だなという気持ちのほうが強くて、勇気をふりしぼった。
「いま便所!」
「あ、どうも!」
と、なんのためらいもない宅配お兄さんのレスポンス。安心したオレは、日常モードへと移行した。
「なんだったら、そこらへんに置いてってもらえる?」
「じゃあ、ほか回って、また5分後くらいに来ますよ」
「じゃあ、それでお願いします」
「わぁりあしたー!」
便所のドア1枚をへだてていたって、いろんなコミュニケーションが可能だ。
実例その3。つい何日か前の9月20日にやってきた非常勤の国家公務員。
朝食後、和式の共同便所で練り歯磨き粉くらいの固さをリリースし終えたときだった。
トントン!
不意をつかれた。リリースに集中しすぎて、階段を昇ってくる音に気づかなかった。でも、長年の習慣というか、条件反射というか、自然にノックを返していた。
ドンドン! と強めに返していた。
これで相手は、自分がノックしたのが便所のドアであることを思い知ったろう。
なのに。
「あのちょっとお伺いしたいんですけど」と、女の人の声。推定年齢40~52歳。
うそ、なにソレ! オレは激しく動揺した。
「あの、今トイレ中なんすけど」
「あ、失礼しました」
と、斜め上から物を言って女は黙った。黙ったまま、その場から立ち去る気配がない。
おいおい、ウソだろ、なんでそこにいるの!
ドア1枚をへだててしゃがむ男と立ちつくす女。その距離約80センチ。いろんな音を聞かれてしまうじゃないか。
しようがないのでこちらから切り出した。
「なんですか?」
「あの、このアパートには何人住んでらっしゃるんですか?」
しゃがんでる者に対する質問として、このセリフはどうなんだろう。
「ひとりです。あとの部屋は、倉庫として使われているみたいです」
素直に答えるオレもオレだが、この女の人、何者?
「いま国勢調査のご案内で回っていまして」
このあと何往復か言葉のキャッチボールを経たのちに、
「わかりました、実際に住んでらっしゃるのは吉田さんおひとりなんですね、はい、どうもお手数おかけしました、失礼します」
そう言って国勢調査員は帰っていった。
尻丸出しでしゃがんだまま、そこそこ充実した会話をかわしてしまった。なにはともあれ、顔を合わせずに済んでよかった。
23日、郵便受けを見ると国勢調査の封筒。
「平成22年国勢調査 ~調査にご協力をお願いいたします~」
と書かれていた。
オレからもご協力をお願いしておきます。
初出:2010年9月26日
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