オレの筋肉はマーベラス
手術室の両開きのドアがあいた。真ん中に手術台があって、左の壁際に心電図だとかの機器が置かれている。天井の照明は、野球のナイター設備を円形にしたような感じ。それ以外はけっこう殺風景で、ガランとしている。
中には執刀医のY先生とT先生、奈良岡朋子みたいな雰囲気をした40歳前後の看護婦がいた。
さっきの看護婦2名+さらに応援1名と奈良岡朋子の4名で、オレをストレッチャーから手術台に移す。かなり大変そうなので、かろうじて動く上体をねじって協力しようとしたら、「吉田さんはそのままでいいですよ」と言ってくれた。余計なことをして、作業の邪魔をしてしまった。
所定の位置に、T字帯一丁のオレの体が納まると、体の何箇所かに心電図用の電極が取り付けられ胸には布が載せられた。これで、首を持ち上げても下半身は見えない。といっても、パックリと開けられることになるオレの体が見えないというだけで、執刀医と奈良岡朋子が何をしているかはわかる。首を左に向けると心電図のモニターが確認できる。頭の後ろには看護婦の気配。
「吉田さん、これ感じますか」
オレの急所あたりでY先生が何かをしながらオレに聞く。
「いえ」
「じゃあ、これは」
「いえ」
「そんなら、これは」
「ぜんぜん」
麻酔がしっかり効いているかどうかのチェックだ。最初の「これ感じますか」よりは3回目の「そんなら、これは」のほうがエゲつないことをしてるのだろう。
「お話はお聞きになっていると思いますが、手術の前に、ウルトラマンの口から膀胱までカテーテルを入れます」
そう言って朋子は手を動かし始めた。ニコリともしない。あたりまえだ、ここでニヤニヤされたら、変な血が騒いでしまう。それにしても、麻酔が効いてるからなんともないが、想像してみると、すんごいことされてるな。もし麻酔をかけていなかったら、ウルトラマンもさぞやびっくりしたことだろう。
「それじゃあ、手術を始めますけど、気分が悪くなったりしたらすぐ言ってくださいね」
生まれて初めての手術。でも、とくにこれといって緊張もない。オレは人一倍度胸のないほうだけど、この場合、すべておまかせ状態なので度胸もクソもない。
先生たちも朋子(えーっと、奈良岡朋子ね)もほとんどしゃべらずに手術を進める。聞こえるのは、心電図のピコンピコンという音だけ。
ちょっとしてT先生が、笑顔を浮かべながらオレのほうを向いた。
「吉田さんの腹筋、いい色してますね。いい筋肉です」
「ありがとうございます」
ホメられていることはわかったので、とりあえず礼を言った。
脱腸の手術だからかどうかわからないが、ドラマでお馴染みの、医者が「メス」と言って看護婦がすかさず渡すとか、看護婦が医者の額の汗をぬぐうなんてシーンは出てこない。
ときどき金属音とか液体の音(血かもしれないし違うかもしれない)、それとかすかにハンバーグをこねるような音がする。
音が聞こえるたびに、自分の腹がパックリ開いて真っ赤な内臓をいじられているシーンが頭に浮かんだ。すると、ちょこっとだけ心臓の鼓動が速くなる。どれどれと横を向いて心電図を確認するが、変化はなくて、すこし経過してから心電図がピコピコと速くなる。どうして実感と心電図がシンクロしないんだろう。
オレの様子の変化を察知したのか、頭の後ろにいた看護婦が近づいてきて、オレの顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
その顔を見てドキっとした。下目づかい(こんな言葉あるのか知らんけど、要は上目づかいの逆)で女の人に見られるのが、オレ大好きなんだってこのとき初めて認識した。とくに、目の下の涙袋の下にできた線が好きみたい。
「だいじょび」
うっとりしながらオレは無邪気な言い方で答えた。
このあとも何度か心臓の鼓動が速くなってオレは不安そうな顔をつくり、そのたびに看護婦が近寄ってトキメキの下目づかいを見せてくれた。
手術が始まってから45分くらい経った。
「吉田さん、手術はだいたい終わりです。あとは、お腹を縫うだけです」
T先生が笑顔で言う。
「ありがとうございます」
オレも笑顔で答える。
「どうでした? 初めての手術」
「思ったより簡単だなって、……あ、いや、そういう意味じゃなく」
「あははは、いいですよ。実際、予想以上に順調に進みましたから。人によっては、いざお腹を開けてみたら癒着が起こってたりして大変な手術になることも多いですし。それに、吉田さんの筋肉は柔らかくて弾力があるので、引っ張るにしても糸で巻くにしても思いっきりできて、楽でしたよ」
オレは脱腸手術向きの肉体を持つ男だったのだ。
明日から別の病院に移るY先生には、ひょっとしてもう会えないかもしれないと思って丁寧に挨拶するつもりだったが、手術台からストレッチャーに移されている最中に、「それじゃ吉田さん、お大事にね」と言われてしまって、「ああ、どうもありがどうぐないまにゅ」って返すのが精一杯だった。
病室のベッドに戻ったのは7時すぎくらい。ひと息つく間もなくT先生がやってきて、術後のことについて説明してくれる。
「手術は成功です。なんの問題もありませんでした。今、ウルトラマンの口に入れてある管は、明日午前中に抜きます。ザワーって、ちょっとイヤな感触はありますけど、痛くはありませんから。それと、これからじょじょに麻酔が切れてきますが、痛み止めの薬を用意してあります。そうですね、3時間くらいしたら、少量の水でしたら飲んでかまいませんので、それで薬を飲んでください」
「はい、わかりました」
と答えながら、オレの筋肉はいい筋肉だし、痛み止めの薬なんて飲まなくても大丈夫だっていう気がした。
「そうはいってもね、その薬もそんなに強いものじゃないので、やはり痛むことは痛むと思います。痛かったら我慢せずにナースコールしてください。お尻に痛み止めの座薬を入れますから」
「あはは、大丈夫だと思います」
なんたって、オレの筋肉はいい筋肉だもの。
「それじゃ、ときどき看護婦が様子を見に来ますからね、お大事に」
そうT先生が言い終えると、看護婦がベッドのまわりのカーテンを閉めてくれた。
つづく