江戸俳句その1
灌仏や此日生るる馬鹿も有
『近世滑稽俳句大全』(加藤郁乎・編著/読売新聞社)で見つけた句で、同書によると出典は「吏登句集」(1787年)。「灌仏」は「灌仏会」の略で、お釈迦様が生まれた4月8日のこと。お釈迦様と同じ誕生日以外に、12月24日生まれや1月1日生まれの人も、まわりからあれこれ言われがちだ。10月10日生まれの人を、妊娠期間の十月十日(とつきとおか)を引き合いに出して、「お前の親は正月そうそう……」などとひやかすのも、定番だ。妊娠期間が10か月と10日間なら生まれるのは11月10日という突っ込みも聞こえてきそうだが、妊娠期間はそんなに長くない。数え年と同じ方式でいうと十月十日は「9か月と10日」で、昔ながらの「1か月=28日」で計算すると、262日が妊娠期間ということになり、正月1日に懐胎したんなら、誕生は9月の末くらいになる。とはいえ、WHOかなんかの定義だと妊娠期間は280日となっていて、これなら10月10日がほぼ正解だ。
妻恋て馬鹿幾人か有乳山
古典俳文学大系8『蕉門名家句集一』(安井小洒編/集英社)から近江蕉門の長老、尚白(しょうはく)(1722年没。享年73)の句。尚白が住んでいた大津からほど近い京都西陣には、授乳の神様「岩神祠(いわがみのほこら)」が祀られている有乳山があり、琵琶湖を北上して福井県まで足を伸ばすと敦賀市の南にやはり有乳山がある。さてどちらか。京都の有乳山は大津からすぐ。かたや福井の有乳山は平安時代から和歌に詠まれてきた交通の要衝で、山の形が乳に似ているらしい(出っ張っているもんは何でも乳に見えなくもないが)。それに、本人が出かけていかなくても、「このあいださあ、有乳山に行ったらさあ、山のふくらみを見て奥さんのこと恋しがってる人がいてさあ」「そりゃ馬鹿だ」で一句詠めるわけだし。やはり福井の有乳山説が圧倒的有利か。というわけで結論、べつにどっちでもいい。
夜咄しや阿房に明て郭公
同じく古典俳文学大系8『蕉門名家句集一』(安井小洒編/集英社)から、尾張名古屋で書肆(本屋さん)、風月堂を営んでいた夕道(せきどう)(1717年没。享年、調べつかず)の句。よっぴいて馬鹿な話をしていたらいつの間には夜が明けていた。それを馬鹿にするようにホトトギスが「てっぺんかけたか」と鳴いている。ちなみに、芭蕉の「いざさらば雪見にころぶ所まで」は、この風月堂の前で詠まれたものだという(『俳句辞典 近世』松尾靖秋編/桜楓社)。
何をして六十路馬鹿馬鹿雪仏
古典俳文学大系9『蕉門名家句集二』(安井小洒編/集英社)から蝶羽(ちょうう)(1741年没。享年65)の句。雪が降り積もり、嬉しくなって雪の仏(雪ダルマ)を作り始めたのはいいが、途中で自分の年に気づいた蝶羽。60歳になってこんなことをしているオレって……。とはいえ、そんなことばかりして人生を送ってしまうのは、父の知足(ちそく)も、弟の亀世(きせい)も、常和(じょうわ)・蝶羅(ちょうら)というふたりの息子も俳人という特別な一家だからしかたない。この家系はその後も途切れることなく続いているというから、今もどこかで彼の子孫が雪ダルマを作っているはずだ。
正月を馬鹿にくらして二月哉
三井秋風(しゅうふう)(1717年没。享年72)の俳句。自らが編者を務める「俳諧吐綬鶏(とじゅけい)(「鶏」の字はは正確には「奚」+「隹」=奚隹」)に収められている。1月いっぱい遊びほうけられるのは、秋風が京都の富豪だったから。この句が載っていた新編日本古典文学全集72『近世俳句俳文集』(雲英末雄他校注訳/小学館)の解説によると、遊興にふけって財を失い、晩年は没落したという。秋風にはほかに「花花花花花花花かな」という、人を食った句もあって、この手の句は川柳ではけっこう見かけるが、俳句では珍しい。ちなみに、江戸川柳だったか狂歌だったかの本を見ていたら、「一二三 四五六七 八九十……」というふざけたものもあった。確か、筒井康隆も同じような短歌を詠んでいた。
初出:2008年4月30日
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