2013年9月17日火曜日

東京ドメスティック日常編 5

下宿の食 その2 好き嫌いもクソもない

 おかずに魚が出たのは、ある意味事件だった。
 8月の終わりころ、佐賀出身の桜井がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「明日の朝めし、魚出る」
「うそ、なんで?」
 肉の切れはしだって1週間に1回だけなのに、魚が出るわけない。
「へへ、田舎の親に、アジの干物持たされた。大家にお土産って。あんな因業バアサンに何もやらんでいいて言ったけど、無理やり持たされた」
「あ、そう。ハハ、やった。焼き魚食える」
「重かったよ。50尾近くあるとちがうかな」
「じゃ、2回は食えるじゃん」(※下宿生は約20人なので)
「うん」

 次の日の朝食。アジの開きだった。おかずの皿の上にはアジだけで付け合わせも何もなかったけど、佐賀のアジはふっくらしてうまかった。
 下宿生の多くがアジを好意的に迎えるなか、朝食後、秋田出身の佐々木はヘコんでいた。
「俺、魚ダメなんだあ」
「少しは食った?」
「んーう、手もつけなかったよ」
「じゃ、メシはなんで食ったの?」
「しょうゆ汁だけで……」
「なんか佐々木に悪いことしたな」と言いつつ桜井は大笑い。「バアサンに50尾くらいやったから、また出るんとちがうかな」と言ってまた大笑い。
「えー、晩ご飯もまた、アジなのかな」
 可哀そうな佐々木。ぐふふ。
 でも、夕食のおかずにアジは出なかった。
 次の日もアジは出なかった。
 佐々木は喜んでいたが、「バアサンがどっかに横流ししたに決まっとる」と言って桜井は怒っていた。

 そのアジが、1週間後の朝食に出た。
「あのバアサン、何を考えているんやら」
 朝食のトレーを持った桜井がオレの部屋に入ってきた。
「どうした?」
「これ、アジ」
「え? 1週間前の?」
「うん」
「食える?」
 桜井は首を横に振って、「あのバアサン、ちっ」。
 アジの開きは明らかに悪くなっていた。くさかった。
 かくして下宿生たちはご飯としょうゆ汁だけのわびしい朝食を食べたのでした。
 ひとりを除いては……。

 ……佐々木。
 ぐふふ。アジ食ってやがんの。腐ったアジ。で、腹をこわしてた。
「この前はご飯としょうゆ汁だけ食べて、あとですんごく腹へったから、今度は無理して食べたんだけど、腐ってたのかぁ……」
「変なニオイしなかった?」
「俺ふだん魚食わないから、こんなニオイが普通なのかと思って」
 腐ったニオイと腐った味に危険を感じなかった佐々木の嗅覚と味覚って、なんか、好き嫌いもクソもないな。

初出:2010年1月25日

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