2013年7月30日火曜日

松原荘殺人未遂事件 その7

語り部の誕生

「帰りはどうする? ちょっと待ってくれるんなら、パトカーで送ってくけど」
 というので帰りもパトカーに乗せてもらった。
 アパートに戻ると木戸も玄関も開いていた。
 アパートにはおまわりさんが2人残っていて、オレが中に入っていくと、血だらけの廊下を指差しながら話しかけてきた。
「お疲れさん、終わった?」
「ああ、はい」
「悪いんだけどさ、廊下、きれいに掃除しといてくれる? これ、おまわりさんがやるアレじゃないんで。申し訳ないんだけど、じゃ、お願いね」
 おまわりさんは自分のことを「おまわりさん」と言った。さん付けだ。かといって、「これ、おまわりがやるアレじゃないんで」なんて言われたら、ちょっと恐いので、やっぱいいのか。
 血だらけの廊下には、ところどころにどす黒い塊が小さく盛り上がっていた。その塊が何か、はっきりとはわからなかった。カルビかなんかだろうか。ミノかもしれない。とりあえずそれを新聞紙で掻き取ってから、濡れ雑巾で拭いた。廊下一面の血だし、乾きかけているので、当然ひと拭きではすまなかった。ふた拭きでも、み拭きでもすまなかった。結局、血の跡がまだらに残ったが、別に気になんねーかと思って、それで終わりにした。
 しばらくして不動産屋のおばちゃんがやってきて、「大変だったね、スイカでも食べて」と、赤い切り口丸出しのスイカを山ほどくれた。そのスイカを一切れだけ食べてからちょっと時間をつぶし、5時になったところで、ガード下の呑み屋「さんのじ」に出かけた。

「なんか、今日の昼ごろに松原のアパートでおばあさんが刺されたらしいね」
 マスターの鈴木さんが言うので、オレは自分の鼻を指差して、オレオレというしぐさをした。
「何?」
「オレのアパート」
「えっ、じゃ、刺されたのって、いつも言ってるあのおばあさん?」
「そう」
 それから5分ほどかけ、バアサンが「吉田さーん」とオレを呼ぶところから、不動産屋のおばちゃんがスイカを持ってきたところまでを話した。
 すぐに、奄美大島出身のさみしがり大迫クンが来たので、彼にも同じ話をした。
 それから見た目が豪快だけどねちねちした性格のパン屋のHさん、劇画タッチの濃い顔をしていて街でよくからまれる劇団のカンナリさん、オレの太ももを触りまくるオカマのじぃじぃFさんと、いつものメンバーが集まってきて、その都度このネタを話した。この日だけで10回は話した。5分で終わる話が、最後の高座では15分の話にふくらんでいた。最後の高座が一番ウケた。特に「吉田さん、これ抜いて」のくだりと、「吉田さん、私の部屋のカギ閉めといて!」のくだりでは大爆笑だった。♪hmhmhm~不謹慎な人の群れ~♪
 いつもは夜中の2時くらいまで呑むんだけど、オレの心は普段とはそれなりに違う状態ではあったので10時には切り上げた。それでも十分酔っていた。いつもオレにツマミしかおごってくれない常連のおじさんたち(主に30代以降の人)が調子に乗ってオレに酒までもおごってくれたから。

 アパートに戻って木戸を開けた瞬間、(ワッ!) ま、声には出さなかったけどびっくりした。木戸の両側に、塀にへばりつくようにして刑事が2人いたのだ。
「あっ、どうもご苦労さまです」
 こういうときに言うべきセリフは刑事ドラマで学習済みのはずだけど、なんかちょっと違うか……。でも、刑事は無言で会釈を返してくれた。
 部屋のドアを開けるとスイカのニオイがした。「さんのじ」でさんざんツマミを食わされたので、食う気がしなかった。どうしようか……。気の利いたことを思いついたつもりで、張り込みをしている刑事のところにスイカを持っていった。
「けっこうです。気をつかわないでください」
 張り込み中の刑事は、アルコール類はもちろんスイカも遠慮する。おしっこが近くなるのが困るのだろう。手とか口のまわりだってベタベタするし。
 次の朝早く目が覚めてゴミを出しに外に出たら、刑事はもういなかった。佐藤(弟)は捕まったのだろうか。
 玄関に放り込まれてある新聞を取って部屋に駆け戻り、社会面を広げた。左下の小さなスペースに、バアサンが刺されたことが載っていた。容疑者が同じアパートの人間だとか、第一発見者のこと(オレのこと)とかは載っていなかった。ちぇっ。ちょっと拍子抜け。

つづく

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