近代以降その3
枯野、馬鹿と話しつゞけて
種田山頭火(たねださんとうか)(1882~1940年)の句を集めた『山頭火大全』(講談社)から拾った俳句。大正2年、自由律俳句の先達、荻原井泉水に師事して山頭火と号し、大正15年、40代なかばで妻と子供を捨て托鉢行脚の旅に出る。托鉢僧の姿はしていても、酒は呑むわ馬鹿騒ぎはするわで顰蹙を買うこともあったようだが、基本的に人に好かれる性質(たち)で、金銭的に援助をする人が常にいたようだ。尾崎放哉と並ぶ自由律俳句の代表的俳人であり、“静”の尾崎放哉に対して、“動”の山頭火と称された。
あらしのあとの馬鹿がさかなうりに来る
「せきをしても一人」などの自由律俳句で知られる尾崎放哉(ほうさい)(1885~1926年)が晩年に詠んだ句。放哉の没後刊行された句集「大空(たいくう)」に収められている。東大法科を卒業した尾崎だが、酒のうえでの失敗も多く、また人づきあいも得意でなかったようだ。山頭火と同じく、荻原井泉水に師事。大正2年に放浪の旅に出て、孤独と貧困の中で句作を続けた。種田山頭火と並ぶ自由律俳句の代表的俳人であり、“動”の山頭火に対して“静”の尾崎放哉と称された。
初出:2008年7月18日
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