江戸川柳その2
出典:『誹風柳多留』(山澤英雄・校訂/岩波文庫)、『誹風柳多留 拾遺』
※カッコ内に「初」や「二」などの数字のみあるものは『誹風柳多留』の篇数、「拾遺」とあるものは『誹風柳多留 拾遺』の篇数を示している。
※カッコ内に「初」や「二」などの数字のみあるものは『誹風柳多留』の篇数、「拾遺」とあるものは『誹風柳多留 拾遺』の篇数を示している。
馬鹿なこと看病もせず里へ行(一八篇)
里は「色里」の略で、遊郭のこと。遊郭ってのは金がかかってそうしょっちゅう行けるもんではないけど、看病はいつだってできるわけだし。
遠くから口説くを見れば馬鹿なもの(一八篇)
そんな馬鹿なものをじっくり観察して詠んだ句。ヒマだな。
馬鹿らしさ馬に乗ってて道を聞き(二二篇)
江戸時代の明和年間以前、吉原で遊ぶ客はみんな馬に乗って向かったため、浅草~吉原の道は「馬道」と呼ばれていたという。吉原は高級な店ばかりで、庶民がそうそう遊べるような場所ではなかった。1年がかりで金をため、初めての吉原行き。馬をひく馬子に「吉原まで」と頼んでいるのに、誰かに自慢したくてわざわざ人に道を尋ねる。一生に何度も行けるわけじゃないんだし、自慢させてやれ。
雪見には馬鹿と気の付く所まで(拾遺 初篇)
途中で寒さに耐えられなくなり、さすがに馬鹿だと気がついて帰ってくるわけだ。『誹風柳多留』では、このすぐ前に「いざさらば居酒屋の有るところまで」という句があり、いずれも芭蕉の「いざさらば雪見にころぶ所まで」の本歌取りになっている。道理で他の句と比べてちゃんとしているはずだ。
馬鹿めらと雪見の後に呑んでいる(拾遺 初篇)
この句は、「ひまなことかなひまなことかな」という前句を受けて詠まれたもの。雪見は風流とも言えるが、ヒマでなければできないこと。そのあとに酒を呑もうというのだから、たしかに「ひまなことかな」である。ヒマがあろうがなかろうが、酒呑みは酒を呑むんだけどさ。
子を持ってやうやう親の馬鹿が知れ(拾遺 十篇)
他人の親馬鹿ぶりを見てまるで理解できなかったことが、自分に子供ができたとたんに親馬鹿の心理がわかるようになったということ。あくまでも「親馬鹿」限定。別に子どもを持たなくても、親が年をとってくると、「自分の親って、けっこう馬鹿だったんだ」と客観的に判断するようになるわけだし。
初出:2008年3月18日
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