江戸狂歌・都都逸その1
道すがら馬鹿たくらだを見ぬのみぞ
仏詣をせぬ利生なりける
仏詣をせぬ利生なりける
『狂歌鑑賞辞典』(角川小辞典――36 鈴木棠三著)で見つけた狂歌。出典は「中明寺百首」(小倉親澄)とのこと。「たくらだ」は「馬鹿」という意味。仏寺に参詣していればいやでも馬鹿が目に入る。その馬鹿を見ずにすむのが、参詣しないことの御利益だというのは、いったい仏を信じているのやらいないのやら。って書くと、なんかソレっぽくない?
神々の留守をあづかる月なれば馬鹿正直に時雨ふるなり
「蜀山百首」(『大田南畝全集 第一巻』濱田義一郎編/岩波書店)に収められた蜀山人(しょくさんじん)の狂歌。「神々の留守をあづかる月」は神無月で、10月のこと。時雨は、涙を流して泣くことのたとえにも使われる言葉。ちなみに蜀山人は、江戸幕府の支配勘定である大田南畝が狂歌を詠むときの狂名で、ほかに四方赤良、四方山人などと名乗った。
酔いつぶれひとりぬるよのあくるまは
ばかに久しきものとかはしる
ばかに久しきものとかはしる
蜀山人の「狂歌百人一首」(『大田南畝全集 第一巻』濱田義一郎編/岩波書店)の中で見つけた、「右大将道綱朝臣」と題された狂歌。百人一首の「嘆きつつひとりぬるよの明(あく)るまはいかに久しきものとかはしる」(右大将道綱母)という、夜が明けるまでの時間がいかに長いかを詠んだ和歌のもじり。酔いつぶれた翌朝は遅くまで寝てるのが普通だろうけど、もじることを最優先しているから、そんなことはいいんだよ。
おろかなる人はぶつとも放屁とも
しらではかなき世をやへひらん
しらではかなき世をやへひらん
続いても蜀山人で、「万載狂歌集」(『大田南畝全集 第一巻』濱田義一郎編/岩波書店)から、「巻十六 釈教歌」の項にある、「放屁百首歌の中に」と題された狂歌。ぶつは「仏」と擬声語「ぶっ」のシャレ。「世をやへひらん」は「経るらん」と「屁ひるらん」のシャレ。意味は、あまり考えなくていいんじゃない?
初出:2008年5月30日
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